千々石休み3「バスターミナル」

ゆとりある記

着きました。諫早でござんす。博多から特急かもめに乗って、ようやくここで電車を降りることになります。夫いわく「ああ、結構乗るなあ」まことに・・・。でここからはバス、駅前のバスターミナルへ入りました。

実は私、はずかしながら諫早(いさはや)を(いせはや)といっていた者です。あの海をせきとめるギロチンの一件があって初めてこの地を知り、それでもなおかつ(いせ)といっていました。

千々石に友達ができなかったら、一生(いせ)だったのかもしれません。ちなみに、JR新宿駅でここまでの切符を買うとき、メモを差し出すと窓口の女性は「これは何と読むんですか?」でした。

さてこのバスターミナルは独特の雰囲気を持っています。以前タイのどこか地方の町に行ったとき経験したような、トロ~ンとした空気に満ちています。都市部のバスターミナルは独特の緊張感があって、ひっきりなしに発着するバスがこんがらかるように出入りし、乗る方も間違えないように臨戦態勢でバスたちを見張っています。

それがここは、皆さん適当にどうぞ~という野放し状態。蜂蜜のような粘っこい空気の中で、お客はてんでに好きに待っています。いや、バスを待っている風でもない。おばさん同士で熱心にしゃべっていたり、夢中で漫画を読んでいたり。このままバスが来なくても平気なんじゃないかなあ。

「雲仙方面のバスで千々石小学校まで行きたいんですけど」と切符売り場のお姉さんに問うと、「3番のとこの自販機でどうぞ~」それぞれのバスが着く所には、むやみに人が出られないように思い鉄の扉があって、バスが来て初めてそのドアを開けて外に出る仕組み。そのドアの前にそれぞれ自販機があるのです。

ついでに聞きました。「島原半島の観光マップなどありませんか?」「ないです~」「駅前に観光案内所などないですか」「ないです~」こうあっけらかんといわれると、引き下がるしかありません。困っているなら何か助けましょうか?という姿勢は何もないお姉さんたちに、逆に好感を持ち始めてしまいます。

いつも何かお世話しましょうか、という世界に居ると便利ではありますが、いつも見張られているようで圧迫感・緊張感があります。こうして放られると「そうか私が自立すればいいんだ」と納得します。サービスと消費者とか、観光情報の発信方法とか、公共交通の利用促進、なんてチマチマした世界から急に解き放たれました。

このターミナルは、いよいよ本格的にスローに乗り換える駅なのかもしれません。「もしもし~。まだ着かないのよ~、これからバス~、ははは」なんて事務所に電話する私は、どえらく時間をかけていることをもはや楽しんでいるのでした。