中辺路・近露というところ
友達の出身地ということで、ご案内いただきました。そんな機会でもなければ足を伸ばさない熊野詣への道・中辺路です。
集落「近露(ちかつゆ)」は田辺と本宮との間。深い山里に若い夫婦が古民家活用のお洒落なカフェを営業していたり、70歳代の男性3人が自ら「近露の3バカ」と名乗って、地域おこしに夢中だったり。
小さな田舎で、力強い動きがきらめいていました。
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中辺路町の訪問は、まずは天空の宿「霧の郷たかはら」でのランチ。
晴天の日だったからか、お店は満席。少人数のスタッフでてんてこ舞いでした。
かなり待って運ばれてきた昼食ですが、この景色に免じ、許す気になります。
熊野詣では、平安貴族が熊野に現世浄土を求めたことに始まるそうです。
蟻の熊野詣でという言葉もあるくらいに、上皇も平民も熊野三山を目指しました。道に人が蟻のようにゾロゾロと続いたのでしょう。
熊野古道と呼ばれるのは、伊勢路、小辺路、中辺路、大辺路など。ルートによって呼び名があります。
そして、途中にいくつも設けられたのが「王子」という熊野の御子神を祀る場所。ここを順番に参拝しながら、休み、歩いて行ったとのことです。
「近露王子」の近くには、「箸折茶屋」がありました。この名には高貴な由来がありますが、ここは地元の交流サロンです。
元役場が茶屋。やっている女性の話では「お母ちゃんもお父ちゃんも、一日一回は寄るね。一緒に来ないのが面白いけどねえ」
長い人では3時間もいるとか。話している間に、外国人のご夫婦が歩いて行きます。
「ガイジンも多いよ、ここのお母ちゃんなんか日本語英語で平気で話すもの。背比べなんかしてね。外人さんは当たり前だから」
ここで見せてもらったのが「3バカトリオ」のステッカーでした。「似てるよね~」「親がステッカーになるなんて」笑っているのは、お店の女性と私の友達です。
友達は近露出身、郵便配達をしていたお父さんは、友達二人とともに近露の地域おこしに燃え、いつしか「3バカ」と名乗り、ついにステッカーにまでなってしまったとのです。
並びにある建物に、そのステッカーを作った張本人が居ました。東京から夫婦とお子さん3人と移住してきた方。
東京にステッカーの会社を置き、こちらでも仕事をしながらの熊野古道暮らし。今では、強力な近露むらおこしメンバーだそうです。
「ここ凄いですよ。歯医者さんでコップを置くとすぐ水が出るじゃないですか。あんな感じで、酒がどんどん注がれるんです」
この男性は、そんな会合で近露の仲間になっていったのでしょう。
「3バカの似顔絵描いて作ったら怒られるかな、と思ったら喜ばれた。そんなところですよ」と笑います。
そこへ、3バカの中心人物が登場。友達のお父さんです。この日は茶摘みの日、汗まみれでの作業中に猟犬と一緒にちょっと挨拶に山から降りてきてくれました。
「4~5年前から、村おこしをやっているかな。“かめや”が最初。それからいろいろやって、桜も植えて。ま、ゆっくりしてって。また、鮎食べにおいで」
大きな目をくりくりさせながら、勢いよく話す3バカおじさまのお一人、その娘も、ここから紀の川市に嫁ぎ、そこで親ゆずりの地域おこしをやっています。
同じ方向の夢を語れる父娘、素敵な雰囲気でした。
「かめや」は近露出身の画家:野長瀬晩花が10代まで過ごした生家。彼の作品は、近露の美術館にもあるそうですが、この日は見学せず、でした。残念!
ここ「かめや」で畳に足を伸ばして、ゆっくりと近露の全体をビデオから学べました。
晩花さん、なかなか素敵な風貌です。南方熊楠から彼に宛てた手紙なども残り、共に神社合祀反対運動をしていたことがわかります。
この地から生まれた才能は、やがて日本画壇に新風を起こし、世界へも向かったとのこと。近露の育てた感性は一級品だったのでしょう。
隣にある「奥ジャパン」は、中辺路を訪れる外国人のためのインフォメーションであり旅行会社であり。
こういう場所が成立するほどに、外国のお客様が多いのでしょう。
「かめや」も「奥ジャパン」も古い家が、上手に利用されています。
それぞれに幕が張られ、提灯が下がり。3バカさんたちの動きがずんずん広がっているのでしょうね。
一休みに寄ったのが「カフェ 朴」。素朴の朴から付けた名前とのこと。古民家を改修し、Uターンした女性が店を始め、今はご夫婦で子ども二人をもうけて営んでいます。
総て手作りの、ここのパンの美味しいこと。
キラキラした緑と、甘い匂いの風と、パンとコーヒー。おしゃべりは尽きません、いい時間です。
左のお二人がご夫婦。これからもっと移住・定住の運動を進めたいとのこと。笑顔が素敵、雰囲気が素敵。またどうしても来たくなるお店でした。
昔は熊野詣でにぎわっていた熊野古道を今のようにしたのには、熊野ツーリズムビューローという組織が、細やかに丁寧に動いて上質の観光を育ててきた、という話を何度も聞きました。
そこにさらに、人懐こい近露の人たち、面白がってバカになるおじちゃん達、Iターンで来た男性、Uターンでお店を開いた女性・・・・などなど。
皆が自分の立ち位置で無理をせずに、楽しんで近露を良くしてきたのが分かります。そしてそれぞれが掛け算で効果を上げたのでしょう。
その土地が活性化するということはいきなりお金ではなくて、程に程に暮らしながら、なんだかみんなが楽しそうというのが一番、と思います。
連れて行ってくれた友達が言いました。「お父さん、70過ぎてもやることいっぱいあって、若い知り合いもいて、外国人とも平気で話して、ほんま幸せだわ~」
そのお父さんたち3バカさんが桜の苗をたくさん植えたそうです。「俺たちは見れないけど、30年後に花見をしてくれよ~」と。
かつて熊野三山に浄土を願う、そのために通った道。今訪れる現代人は、近露のような清らかな土地に触れ、心と身体を浄められるのではないでしょうか。
この道は、そんな“浄土”に通じています。
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