英彦山

お仕事で

福岡県添田町。英彦山、これを「ひこさん」と読みます。「英」は素晴らしいという意味で、あえて読まない。関東の人間にはどうにもなじみが薄く、パンフレットで知るまで「英」を読もうとしていました。山伏が修行する信仰の山、ここで「修験ツーリズム」が始まろうとしているとのこと。その、ごくごくのさわりを体験させていただきました。「ほら貝」の音が、今も耳に残ります。

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これは「英彦山修験道館」に展示されていた、英彦山の絵です。英彦山は左から北岳、中岳、南岳の三つの山からなり、中岳(1188m)に「上宮」(本社)があります。階段状にみえるところに、昔は「坊」があったのこと。江戸時代には「三千八百坊」と言われ、この山中で3000人の人が800の坊舎で修業し暮らしていたそうです。

こちらも江戸時代に作られた模型。すごいスケールで、一大修験の地が栄えていたことがわかります。うかがった日は、雨模様、遠くからこの山を眺めることはできずに、下の写真、ホテルに貼ってあったポスターでその形を想像するにとどまりました。

531年開山のころは「日子山」と呼ばれ、その後819年に嵯峨天皇が「彦山」に改めたのだそうです。そしてさらに、私が読めなかった「英」の字は、1729年に霊元法王から与えられたそうで今の「英彦山」(ひこさん)になったとか。ああ、でもついつい「英」を読みたくなりますよね。

銅鳥居(かねのとりい)よりふもとは、凡人と聖者が同居している「凡聖同居土」。鳥居から上は仮の浄土、行者界で「方便浄土」と結界が決められているそうです。いまは鳥居横から「スロープカー」に乗り、楽ちんにかなり上の「奉幣殿」まで行けます。ここには石の鳥居があり、そこから上は修行専念の聖域となるそうです。

銅鳥居から少し行ったところにある「松養坊」という坊で、まちづくりのミーティングがあるとのこと。混ぜていただきました。

入ろうとすると木犀の香りが出迎えてくれます。「ウスギモクセイ」というそうです。この坊にはいまご夫婦が住まれ、不定期で公開もされているようです。

「式台玄関」と呼ばれるところには花が生けられ、皆さんの靴が賑やかでした。

あがったところが「下の間」「中の間」「奥の間」と三つに分かれる客殿スペースです。

私のように名前にこだわる人があるのでしょう、呼び名の変遷が分かる説明もありました。

集まっているのは“現代の山伏”?というわけではありませんが、熱心にこの地をよくしようとしている地元の方々です。この地に関わるアドバイザーの方がワークショップを進行。「英彦山のすきなところは?」という問いかけに、次々と意見が出てきます。「四季が明確に表れる」「特殊な形の山だから遠くからもわかる」「昔はここのお札を皆もらいに来た。田んぼの水口に立てると稲に虫がつかないと言われた」「1000年前の景色が残っている」「花一つでもありがたみが違う」「樹氷のトンネルが素晴らしい」「星空が素晴らしい」「空気が全く違う」「夏は、朝も夕方もカナカナの声が聞こえる」うかがううちに、ここに住み着きたくなります。

ここの奥様が出してくださったお茶の美味しいこと。茶たくも「英彦山」です。空気がいい聖地に住むと、皆さん五感が冴えるのでしょうか?発言のはしはしに、都会の大人たちでは感じられないだろう感性が光ります。しばらく居れば、私も少しは心清らかになれるのでしょうか。

祭殿前には「ほら貝」「塗香」入れも。朝のおつとめをご一緒したくなりました。

ホテルからみた朝の景色です。英彦山の中腹にある宿ですから英彦山は見えないのですが、山々と朝もやで、すがすがしい気持ちになりました。そして、身支度していよいよスロープカーに乗ろうとしたとき、ほら貝の音が響きました。音の主は、昨日のワークショップにいらした外国人の写真家(エバレット・ブラウンさん)の方です。今彼は、ここの宿坊に半分お住まいになりながら、先のアドバイザーの方とともに修験ツーリズムを立ち上げようとされていました。(続きは来週に)