蛍もとめて

ゆとりある記

紀の川市鞆渕へ蛍を見に行きました。小さな山里の、清流から自然に蛍が湧いています。

街路灯もない闇の中、蛍求めて足元おぼつかなく歩きました。星空が、黒々と山の輪郭を描きだし、カエルの声がやけに大きく響きます。

栗の花や草の匂いも強く香ります。そんななか、フッと飛ぶ蛍の明るさの尊いこと。

蛍を求めて歩くうち、都会で忘れていたことをたくさん発見できました。
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市役所のある場所から車で40分くらいで鞆渕(ともぶち)。ここの黒豆は、市内でも引っ張りだこの品質。そんなに採れないため、外には出ない逸品です。

黒豆は知っていましたが、蛍も。というわけで、連れて行っていただきました。そうとう山の中に入った感じでしたが、中学校・小学校があり、この時期は蛍を見に来た人の駐車場になっています。

車を出るとひんやり肌寒い、やはり山に登っているのですね。商店街や賑わいなどはない、こじんまりした集落に手作りの看板が立っていました。

この辺りから既に暗いので、知人に携帯で看板を照らしてもらいます。手づくり看板にほのぼのと語られれば、蛍を捕るような気にはなりません。

さらにまた手作り看板。ここを流れる鶴姫川の3つの蛍スポットが、いま蛍がどんな状態なのかわかるようになっています。

「ぼちぼち」「まあまあ」「どっさり」マークの数で状態が分かる仕組み。観光地ではないので、マップが配られたりアナウンスがあるわけでもありません。

この看板・印を頼りに、夜の集落に静かにお邪魔する感じです。

歩き出すとじきに「まあまあ」のスポット。小さな橋の上になりました。三脚を据えて写真を撮ろうとする人、スマホで追いかける人、歓声をあげる人、といっても10人くらいでしょうか。

私のiPadでは到底ダメで、早くも写真に収めるのはあきらめました。

知人が「目に焼き付けてくださいね」と宣います。なるほど、常々、すぐに写真に撮ろうとしすぎますよね。撮れないことが幸いし、丁寧に蛍を観察できました。

川はほんの小さな流れ、橋といっても一間ほど。流れに沿って道が続き、両側には山が迫ります。

少しの平地に家が数軒ずつ。ずっと昔から変わらないような山里なのでしょう。とはいえ、もう真っ暗で、推測の範囲ではあるのですが。

その流れの草むらから、ぽわりぽわりと蛍たち。ゆっくり瞬きながら、飛んでいます。「まあまあ」の量が、なんとなくい感じ。

きれいです。

そこに、橋の近くのお家から、おばあちゃんが息子さんと現れました。93歳、「さっきまで寝ていたけど、息子に起こされて見に来た」のだそうです。

息子さんいわく「ばあさんは蛍より、人を観にくるんだよな」

なるほど、めったに他所の人が来ない里ですから、蛍が湧くとやってくる、人の方がおばあちゃんには珍しく、うれしいのでしょう。

おばあちゃんはニコニコしながら、私たちを見物し「どこから?初めて?また明日おいで」などと話してくれます。

「もう少しすると、あの山へ蛍は帰る」とおばあちゃんが教えてくれた黒い杉木立、蛍のねぐらなのでしょうか。

蛍がねぐらに帰る前に、もう少し奥の蛍スポットまでと、闇の道をゆるゆる登ります。強い栗の花の匂いがしました。椎の木かもしれません、この時期特有の山の香りですね。

水の音の方からは、甘い水の匂いがしてきます。こっちの水は甘いぞ、って本当にあるのかも。

歩くほどに暗くなり、前を行く知人のワイシャツの白色についていくばかり。すると水辺の方から「は~い、こっちだよ~」とばかりに、一匹の蛍が飛んで、道を照らしてくれます。

もちろん一匹くらいで道は見えないのですが、そんな気になる強い灯りです。

小さな田んぼが現れました。星空が作り出す、山の黒いギザギザの稜線が、そのまま田植え後の水面に映ります。黒い鏡に黒い山が映り込む美しさ。

ああ、その上をまたふわ~っと蛍が飛んでいく。私は今、なんて素敵な場所に居るのだろう!身体のなかの悪いものが、抜けていくような思いです。

ガッツ♪ガッツ♪ガッツ♪ガッツ♪ そんな私をしかりつけるように、大きな声でカエルが鳴きます。確かに、こんな闇の中に居ると、何とも情けなく力のない自分がしっかり見えてきます。いつも、偉そうにしているのに。

それと同時に、妙に落ち着いて腹が座ったようになるのは闇に包まれて、怖いを通り越した安心感でしょうか。

昔、夢中で読んだ梶井基次郎の『闇の絵巻』という短編を思い出しました。

この地に住むお知り合いのおうちに寄りました。「よう、よう、来てくれた~!」急に明るくにぎやかになります。

土日はけっこう人が来るので、地元の方はこういうジャンパーを着て“ホタルボランティア”として、車を誘導するそうです。

ジャンパーの蛍の絵は印刷ではありません、これも手描きです。

川が近いので湿気があがらないように床が高い家。来客は土間で。蛍の時期でもストーブと炬燵は離せないとか。

温かいコーヒーをいただいて少しおしゃべりしていると、柱時計がボーンと鳴りました。

ここの奥様が煮てくださった鞆渕の黒豆は、今年のお正月、我が家のお節料理の華でした。

あんまりきれいなので写真を撮ったものです。こんないい山里で、こんないい人たちに育てられ、水音と柱時計の音を聞きながら沸々と煮えた黒豆です。美味しいはずですね。

考えるに、黒豆は鞆渕の冬蛍なのかもしれません。