いにしえの里

ゆとりある記

奈良県吉野町国栖(くず)はこう呼ばれています。

『古事記』や『日本書紀』に国栖人という言葉が出てくる。特産の吉野和紙作りは、大海人皇子が奨励して始まった。同じく特産の割り箸は、後醍醐天皇が吉野で里人が献上した杉箸を愛用し、その流れを汲んでの今がある。

などなど、話をうかがえばこの地の歴史の深さに納得します。日本の歴史文化の象徴のような静かな小さな里でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国栖のまち。瓦屋根と川の流れがきれいです。

この清い流れと気候から、上質の和紙産地として一時は150件もの紙漉きのお家があったそうです。

谷崎潤一郎は、真っ白な和紙があちこちに干される様子を称えました。今は数件の職人さんに止まりますが、紙は漉かれています。

一人前の紙漉きになるまでに50年かかるとか。そのため紙漉きの家では、後継が修行を始めて一人前になるまで食べていけるだけの紙を、親が貯蓄しておくのだそうです。

就職したらその日からノルマのある、サラリーマンなどとは違いますね。ここは、時間の尺が違う。


昔は川の交通です。流れに乗ってどこまでも人が移動しました。今は少々交通に不便な国栖ですが、昔は交通の要所。

だからごく普通に「大海人皇子がこちらに逃げてきたときに」なんて話題がでます。

歴史の教科書の中で暮らすようです。「で、そのときに、ここの翁が舟をひっくり返し、その中に皇子をかくまった」しかし、追っ手の犬に見つかってしまう。

翁は策を講じ、結果犬は殺されてしまう。皇子は助かったが、その犬はそもそも皇子の愛犬を追っ手が使っていた。

皇子を見つけて喜んだ犬の事を思うと・・・・。で、この犬を祀る犬塚がある。そしてその伝説の残る集落では犬は飼わない。

大海人皇子の時代から、が今まで繋がっている。すごい土地です。犬のいない集落として、テレビでも採り上がられたとか。


そんな土地なんだ、すごいなあと思っていたらワンワンと吠え声。

「あれ?犬いますよ」と私。「そこから地区が違うんです」と笑うご案内の方。

飼わない地区の子どもたちは、きっとこのワンちゃんを見に来るのでしょう。


割り箸の組合を訪ねました。割り箸といえども、まあ種類があるある。パンフレットに載っているだけで50数種類、それぞれ特徴があり用途も違う。

一時は輸入品に押されたものの、今は安全を求めて、国産の、そして香りの良い、吉野杉の割り箸が引っ張りだこだそうです。

組合の女性が「こんな大きなのもあります」と出してきてくれたのは菜箸よりもさらに長い巨大箸。運がつかめるんですって。


箸工場にも寄りました。もう、今日の作業は終わっていたのですが、ご主人がちょっと造るところを見せてくれます。

年季の入った機械に板を挟んで、押して引く、するともう割り箸の割れ目ができて向う側にある。わあ、やりたい!の気持ちをぐっと我慢。


外には製材で出た板があり、これからお箸になるのを待っている様子。

向こうのモハモハしたのは割り箸の形を整えるときに出る削りカス。これも、ほしい!何かに使えそう、きれい!

などというお遊びは、それぞれに我慢。また今度です。


近くの駅まで出れば大阪まで通勤可能、とはいいますが。やはり田舎はいなか、お買い物などには不便かな?と思ったら“百貨店”を名乗るお店を発見。

なるほど、お魚から浮き輪まで売っています。なんだかとろ~んとした雰囲気のお店。店員さんは?いません。奥からテレビの音が聞こえます。

ここには、店のものを持っていくなんて人はいないのかも。


街道の雰囲気が残る通りもあり、お屋敷も並んでいます。

またゆっくり遊びに来て、写真を撮りたくなります。


お醤油屋さんがありました。敷居をまたぐと、足元は土間!です。

中はひんやり。100年続くお店だそうです。


「醤油はここって決めてるよ」という常連客さんがふらりと入ってきます。なんだかカッコいい。

私は、金山寺味噌と、お醤油、めんつゆを買いました。国栖の歴史の味をお土産にした思いです。


10月にはここで「国栖の里灯り展」が開催されます。このパンフレットは昨年のもの。

国栖の和紙、割り箸などを材料に皆が創作した“灯り”を公募してコンテストに。地元の中学生も参加するとか。

地元の産物で手作りした照明は、その子の人生をずっと優しく照らしてくれるでしょう。

そういう体験ができるというのは幸せです。

いにしえからの風習・文化・技を伝え、暮らす国栖の里。灯りを作った子どもたちがどんなふうに育って花開くのか・・・・。

まずは里灯り展を見せていただきたいと思います。