一所懸命の時代
写真家・英伸三さんの写真展『昭和の記憶、一所懸命の時代』(茅野市美術館で15日まで)を見てきました。
高度成長期の庶民に、なにが起きていたのか?
暮らしを楽にと、深夜、電子部品のハンダ付内職をする農村の女たち。耕作機械を買うために、出稼ぎに行く男たち。集団就職の臨時列車で、泣き続ける金の卵たち。
懸命な姿が、ゴールデンウィークに浮かれる私の心に刺さりました。
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茅野に降り立つと、御柱祭りの幟が並んでいました。そうなのです、ゴールデンウィークだし、御柱祭りだし、だから電車からたくさんの人が降りたのです。
その賑わいとは反対側の、駅に直結した静かな空間が茅野市美術館でした。
駅のホームと平行に渡り廊下のようなスロープが伸びて、そこは図書館にもなっている、アイディアに富んだ現代的な建物でした。
英さん(お会いしたことがあるので、こう呼ばせていただきます)は、1936年生まれ。社会派のドキュメンタリー写真家として、今も、もちろん現役で、新作を発表し続け、さらには写真家を育てる「現代写真研究所」の所長もされています。
ただただ「すごい人が世の中にはいるなあ~」と、いつも思ってしまいます。
『一所懸命の時代』(大月書店、1990年)という写真集を出されていますが、このテーマの作品で大きく伸ばしたオリジナルプリントの作品群をみるのは、私は今回が初めてでした。
パンフレットにはこうあります。「写真家・英伸三(はなぶさしんぞう)が写した昭和の日本。そこには1960年代から80年代、高度経済成長期の日本社会において、時代に翻弄されながらも発展を求めて懸命に生きる人々の姿がありました。」
※以下、私の感想ですが、キャプションも兼ねている写真のタイトルは簡易にしてあります。
○入口の写真に驚きました。「農業祭に出品された稲」秋田県能代市二ツ井町1976年。
稲とはいいながら、そのたわわに実った稲穂を持つ農民の指先のアップの写真。人の爪や指は土に働くとここまで固く、変形するのか。
石になってしまった爪と、木になったしまった手が、稲穂を愛でている。40年前の農村には、こういう手をした人が沢山いたのでしょう。
○「カントリーエレベーターの完成祝賀会」長野県大町市1968年。
稲を乾燥、貯蔵などのための大きなサイロ塔のような構造物。これは今でもありますが、こういうものがどんどん建てられて農協が農家をまとめ、米作りが機械化されていったということです。
祝賀会は、そのそびえる構造物のを背にして、おんぼろのテントを張って雨もようの中行われているようです。
男性たちは長靴姿、豚汁でしょうか、うどんでしょうか、何か汁ものをドンブリで食べながらの一杯です。「これから日本は変わるんだ」そんなことを語っていたのでしょうか。
机のには、かごにはいったリンゴも。カントリーエレベーターにある日の丸と、リンゴの赤と、が白黒写真でも想像できます。
○「河川敷の農業機械の展示場」秋田県大仙市大曲1968年。
説明には、「購入したい機械の値踏みをして、都市の建築現場へ出稼ぎに行く」とあります。
農家の男たちが、よれよれの背広を着て、シワのワイシャツに、よじれたネクタイ。精一杯おしゃれをして、憧れの耕運機を見て、そのまま東京に出ていくのでしょう。
子どもを学校に行かせたい、女房に少しは楽をさせたい、家を建てたい、そのためには米を一杯作って、そのためには機械を買って、そのためには借金をして、そのためには・・・。
○そして、農村に残った女たちには、下請けの下請けのそのまた下請けのような内職仕事が入ってきます。
1964年の長野県伊那市の写真。納屋や蚕のいた部屋、畜舎が、トランジスタラジオなどの部品工場などに変わります。
ハンダ付と言って、今、わかる若者は居るでしょうか?私ぐらいの年齢では、家にも簡易なハンダ付の道具がありましたが。
この写真展の、パンフレットやポスターに使われている写真がそれです。
新聞紙を広げた作業スペースの上に小さなフライパンが置かれ、食事に使っていただろう小皿などに道具が入り、手拭をかぶった女性が何やら緻密な作業をしている。
写真には、電子部品のハンダ付、トランジスタラジオのトランスの組み立て、コンデンサーの組み立て、などの解説が並びます。
そして、親工場からの注文は絶対的なもの、それは農繁期も同じ。
期日に数が間に合わなかったら、ハンダ付の道具は返させる、内職はもう回さない、という過酷な貼り紙も。
ブラック企業どころか、搾取して使い捨てにも思える労働条件。でも、その作業の先に「少しでも豊かに」という目標があって彼女たちは寝ないで頑張ったのでしょう。
内職の割り当てをこなすために、農作業は夜に。月明かりのもとでの野良仕事、水に浸かって彼女は何を思っていたのか。夜の田んぼで除草する写真に、胸がつまりました。
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総ての写真の感想をかけばキリがありません。
が、ともかく、日本の農村が、大量生産大量消費・ファストライフ、東京を中心とした高度成長の流れに振り回されてきたことが証拠写真を突き付けられたように分かります。
出稼ぎ、飯場暮らし、米価闘争、農薬散布、減反、集団就職、公害。
皆が追いかけてきたものは何なのでしょう。たくさんの“一所懸命”がつくりあげた日本は、今や「人口減少」「過疎」「高齢社会」「少子化」、という現実を抱えています。さらに自然災害や原発事故も。
爪が石にはならずに、ネイルを楽しめるようになったけれど・・・・。
夜に草取りをしなくても、テレビを見れるようになったけれど・・・・。
一所懸命の時代の次の、頑張らなくてもいい時代、スローライフなど語れる時代だからこそ、ちゃんと生きなくては、と覚悟を決めた写真展でした。
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