被爆バイオリン

ゆとりある記

毎年8月6日の広島を撮影続けている夫に付き合い、今年も出かけました。行動制限のない夏、平和記念公園の人は多く、3年ぶりに灯ろう流しが。そして「被爆バイオリン」の演奏も。5日夜は、原爆ドームを望む川べりで15歳の少女が。6日には街なかの地下街で、同じく15歳の少年が奏でました。この少年の母親はウクライナ人、いろいろな思いが音色に重なっていました。

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広島に着いた5日の夜、原爆ドーム前の川にはかがり火がともり、コーラスが流れます。昨年とは違うたくさんの人が集まりました。そこで始まったのがバイオリンの演奏。まだあどけない少女が弾くバイオリンが被爆バイオリンとはその時わからないまま、聞き入っていました。

それがテレビの番組で知ることになります。そのバイオリンはロシアから広島にやってきた音楽教師のもので、被爆した持ち主とともにアメリカに渡り、その後、広島のの母校に贈られたものだとか。

その楽器を若い人が奏でることがうれしいです。

翌日はまちなかの地下街で、少年が演奏しました。ここではお顔写真を控えますが、手前のスマホを構えている方が、少年のお母さん。ウクライナの方です。お父さんは日本人。つい昨年は家族でウクライナへ旅行したとテレビの番組ではレポートがありました。

優しく力強い音色が地下街に響きます。このバイオリンは二日間にわたって、広島で、若いお二人に奏でられてうれしかったのではないでしょうか。伝えたいことが山ほどあったのではないでしょうか。いろいろな思いがよぎります。

今年は一般の参加が本当に多く、6日の夕暮れになっても慰霊碑にお参りする人の列が絶えません。そして暗くなると、3年ぶりの灯ろう流しが行われました。元安川には人が一杯、橋の欄干にも人が鈴なりです。

この灯ろうも、流すのはボランティアの若者たち。たくさんの人たちのメッセージを胸に抱え、密を避けて代行して川に流していきます。今年の広島は若い人の姿が目立ちました。それが実に美しかったのです。

灯ろうの明かりと被爆バイオリンの音色が、この夏、私に沁み込みました。