ジモティの味

ゆとりある記

よその土地から見たら実に珍しいのだけれど、その土地の人たちにはあたり前、そして愛してやまない味というのがあります。

よそ者は知らない、観光客などには教えたくない、あの店のあの味。そんな地元民の味を教えていただきました。

新潟県胎内市のジンギスカンの店「志まつ」。味噌ダレをまぶしたマトンを煙に燻されながら食べると、仲間にしてもらえた感じ。力漲るものです。

「志まつ」の場所はJR中条駅から少し離れたところ、町名では西栄町ですが、地元では「ジンギスカン食うか」でもう「あそこ」と通じます。

羊の肉をここのおかあさんがスライサーで切り、味噌、ニンニク、ショウガ、その他もろもろの秘伝のタレに漬けるようにしたのをいただきます。

濃い甘辛味のために、生卵をくぐらせて食べるのがここ流。しかもおかあさんが「鉄板」と呼ぶ、鉄工所に頼んで作ってもらう穴のポツポツ空いた鉄器?のような武器?の上に、さらに網を置いてそこで焼くのがここ流。

いわゆる今まで食べたことのあるジンギスカンとは程遠い、胎内市「志まつ」だけのやり方です。地元の方に聞くと「ジンギスカンっていうとあれだったから、他にいって初めて違うの食べた」との意見が主流。あくまでも、ものさしは地元にあるのでした。

ソフトボールの試合といえばジンギスカン、疲れた時にはジンギスカン、草刈で汗かいたときは「志まつ」という使い方を50年間もしているこのまちの方々には、DNAまで届く甘辛さなのでしょう。

私は先日でようやく4回目。「志まつ」するときはこんな感じです。仕事が終わってから9時くらいに到着「おかあさん遅くなってゴメンネ」。

おかあさんはたいていテレビをガンガンつけながらその前でひっくり返って寝ています。「ああ来た~?いいんだよ、夜はずっと長いからね」この言葉で、こちらの心は緩みます。

6時くらいから食べて飲んで出来上がってしまったんでしょう、という様子の大の字で熟睡中のお客のいる部屋は避けて、「おかあさん、部屋借りますね~」と戸を閉め、そこで私は先ずお着替え。通常私は着物ですから、夜ご飯が「志まつ」という望みがかなえられる時は、着替えを持っていくわけです。

部屋は厚みがかなりある、何層にもなっている油煙が壁につきテカテカしています。火をつけていないのに、着替えているはしからもう着物は燻されていく感じ。いくら換気扇があっても足りません。

そうこうしているうちに、肉の山とビールなどが運ばれます。鉄板をあたためて卵を割り、位置についてヨーイドン!ビール・肉・ご飯・白菜の漬物を交互に口に放り込んでいくうちになんとも幸せになります。

味が濃いのでいきなり白いご飯に合います。勢いで食べますから、ここではあまり「まちづくりがどうのこうの」という複雑な話は無理。ま、これはしょうがない。「おかあさんおかわり」と頼むと「こんなもんかな」と肉の山がドーン。

メニューはシンプルなので他に食べたいものは持ち込んじゃったりします。写真は冬の様子ですが、上の天ぷらの写真はつい先日のもの。この日地元の人が採ってくれたコシアブラの天ぷらや山菜のおひたしなどがどっさり持ち込まれました。

同行の若者が「おかあさんコーラある?」と聞いた時、「ないけど自販機近いから行ってくる」がおかあさんの返事。「おかあさんこの焦げ付いたのどうやってとるの、大変でしょう?」「うん、鉄板をたたくの」。こういうおかあさんとのやり取り一つ一つが楽しい、これまた「志まつ」の味なのです。

肉以外これといったメニューはありませんが、亡くなったご主人が健在だった頃は食堂としてやっていたようで、その名残かラーメンという隠しメニューも、「あるときはある」。

胎内市にコンサルタントとして通い始めて1年。当初、この店に誰も誘ってくれませんでした。それが「ジモティの味」を私が切望すると「野口センセをあんな店にお連れしていいだか?」といいながら、やがて解禁となったのでした。

初回の夜は「その格好では・・」といわれたために、近くの洋品店へ行って上から下まで買って着替え、挑戦したものです。

私はこういう味、世界が大好きなのです。「ジモティの味」ほどおいしいものはありません。それにここのはクセになる、急にムラムラと「志まつ」の甘辛味が食べたくなるものです。

好きというだけでなく「志まつ」に連れて行ってもらえるようになってから、地元の人たちと本音で話せるようになったようにも思えます。自分たちの味を他所者に教えるということは、少しは私を仲間と思ってくれたのでは、と勝手に思い込んでもいます。

ああ、また食べたくなった~。