ゆる~い「まち」

お仕事で

商店街が大好きです。それも、地方のちょっとさびれたまちの・・・。そういうところのお店は「売らんかな」という商売一色でなく、生活が見えるというか、緊張感なくふわっとした雰囲気でお客を包んでくれるというか。

だからダメとい人もいるかもしれませんが、売り買いだけの関係はつまらないものです。特によそ者には、そのゆるさがたまらない魅力に見えてきます。

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場所は最近通い始めている秋田県鹿角市大湯です。ワークショップに参加いただいている方々を訪ねようと、何軒かのお店に入りました。

布団屋さんです。今や都市部では通販などで買うことが多くなった布団ですが、ここは昔ながらの打ち直しをやっています。布団の学校を出た奥様が、説明してくれたのは、綿の重さを量る天秤ばかり。

現役です。かつては何匁(もんめ)などと量っていたとかですが、最近はだんだんキログラムになってきているとか。それでも多量な綿を量るには、載せるタイプのものよりこうして吊り上げる天秤ばかりが活躍するわけです。

馬肉の専門店がありました。馬肉文化の地です。

普通の肉屋さんで並んでいるように、ロース、バラ、小間肉などそのすべてが馬肉。ホルモンも馬です。ぶらりと入ってきた男性が「明日お客さんがあるので刺身を5000円位」なんて頼み方をしていました。ここのご主人は、馬肉のことなら何でも教えてくれる感じです。

魚屋さんと聞いてうかがったのですが、田舎にありがちな何でも屋さんです。でも、昔は魚が主だったのでしょう、お店に「魚」の文字が。

でも、今やここの奥様の焼き物もズラリです。売るわけでもなく、きちんと展示するわけでもなく。なんとなくの話題提供です。近くに在る縄文時代の遺跡・大湯環状列石(ストーンサークル)にちなんで、体験できる縄文焼きを年に一度、ここの奥様も焼き続けているとか。年季が入っています。

大湯では4と9のつく日には、朝市が立ちます。昔はもっと栄えていたそうですが、今や、車で大規模スーパーに行く人が増え、お店もお客さんもすっかり少なくなりました。海に遠い地だけあって、魚屋さんは人気です。おしゃべりしながら、おばあちゃん達が買って行きます。「これはどう使うの?」と一言聞けば、解説が続く続く・・・。

市の横には、女性の会が開設する「カフェ」がありました。誰でも寄って、おしゃべりできます。市で買ったものなどみせながら、お茶っ子です。

大湯と言う名だけあって、湯が汲めるところもありました。昔は各家に湯沸かし器などなかったので、洗濯はここに洗いに来て、掃除のお湯は汲んで帰ったそうです。真冬はここには雪は積もらないとか。昔は楽しい洗い場だったのでしょう。

「大量のお湯はくまないで」という注意書き。「どのくらいならいいのかなあ」でも見はる人もいないし、なんとものどかです。このお湯の上は座ると熱いくらい!ここでお尻を温める、温泉療法ができそうですね。


帰り道、道路沿いには「どうぞご自由に見て」という花畑がありました。都市部なら1日で苗はなくなるでしょう。または、業者が全部刈っていってしまうかも。オープンガーデンなんて規模じゃない、広大な花畑が開放されています。この大盤振る舞いに感激。

どなたかが種を蒔き、苗を植え、草取りし、水を撒き、手入れをし続けておいでなのでしょう。私利私欲のないとはこのことです。善意の花が満開です。

都会暮らしでは、お店に入れば店員さんがすぐに寄ってきてセールスに励みます。お金にならない客だと分かったとたんに、早く帰れという視線に変わります。

お客も、お得感のある無料でのお振る舞いには何か必ず裏がある、みんな用心深く身構えています。

そんな暮らしに慣れていると、まちじゅうのこのゆる~い雰囲気は、「え?いいの?」という衝撃的な感動です。お店や、市や、ひと休みカフェ、お湯汲み場、開放花畑など、いつでも
誰でも、ぶらりと立ち寄れる。まちじゅうが縁側みたいな開放的な立ち寄りムードに満ちている。

先回は「湯船みたいなまち」と紹介しましたが、今度は「ゆる~い縁側のようなまち」と、さらにキャッチをつけたくなりました。

※下の写真はお湯汲み場近くの用水。商店の写真は、私はカメラを忘れ、仕事仲間の高橋葉子ちゃん(お湯を汲んでる手の人)撮影のものをお借りしました。