那須疏水

ゆとりある記

「そすい」という言葉は普段使いません。私は「疏」という漢字さえ知りませんでした。栃木県那須塩原市、ここにうかがって“水を求めて”の一念で造られた疏水の存在を知りました。

典型的な扇状地、明治時代この地を開拓するには疏水工事が不可欠だったのです。今の便利で快適な暮らしは、そんな歴史と人の汗の積み重ねの上に在る、としみじみ思いました。


那須塩原と聞いて思い出すのは、温泉、高原、酪農。東京から遊びに行くなんとなくいいところ、という感じ。先日仕事でうかがって高い場所から見渡すと、本当に景色が雄大で、夏にはさわやかな涼風を求めて、首都圏から人が来るのわかるなあ~、と深呼吸です。

しかし、その昔ここは人を寄せ付けない荒れた土地、それを少しずつ開拓し今に至ったとのことです。

「扇状地」という認識すらない、自分の立っている地面がどんな構造の上に在るのか想像すらできない現代人。私もここにきて、新幹線駅がある、高速道路のインターがある、緑が豊か、そんなことぐらいしか目が行きません。

「せんじょうち?」というのは、高いところで水は地下にサッと入ってしまって、表面のなだらかに広がる斜面の土には水がない。もぐって流れてきた水は、やがて斜面の裾の方で急に湧き出す。

と、ここにきてあらためて知りました。そういえば子供の頃、学んだような・・。

したがって、広大な土地を目の前にして、水がない苦しみと人々は戦ったのでした。その結果、今の景色、大地の中を、血管のように疏水が走っているとは・・。

那須疏水は当時の内務省直轄の国営事業として造られたもので、安積疏水(福島県)、琵琶湖疎水(滋賀県)と並び、日本三大疏水の一つに数えられるそうです。

「国指定重要文化財 那須疏水旧取水施設」を訪ねました。説明看板には “この取水施設は、水に乏しい那須野ヶ原開拓地の飲用・水田灌漑等を目的に建設された那須疏水の施設で、明治期有数の規模を誇る貴重な土木遺産です。”とあります。

ここには明治18年最初にできた取水口、から昭和51年にできた今の取水口まで、時代を追うようにいくつもの取水口が残っています。

那須塩原西岩崎の那珂川右岸から取水し、千本松に至る約16キロメートルの本幹水路、4本の分水路、そこから分かれる多くの支線水路が約1万ヘクタールにおよぶ那須のが原の開拓地を潤わせた、とのこと。

最初の頃の人力の作業を想像すると、国営事業とはいえ、気が遠くなります。

続いてうかがった「那須疏水蛇尾川サイフォン出口」。立て看板の文字が読み取れるでしょうか?ここでは、引いてきた疏水が川を渡っています。

蛇尾川は今見ても石だらけの水なし川。大雨の時は水が流れても普段は地中深くを水が流れます。ここを疏水は突っ切ってさらに大地へ伸びています。

川を横切るために、サイフォン工法が使われました。川の右から隧道を堀り、川の下をくぐって左に出口を出す。この入り口、出口に高低差があれば逆サイフォンの原理で水は出口に噴き出し、その先の水路に流れていく、という仕組み。

その明治期の噴出し口が残り、石で囲んだ5角形の隧道の構造模型が展示してありました。今の、水の出口は昭和のものですが、逆サイフォン工法は変わりません。

ゴーッと噴出す多量の水、勢い良く流れる疏水。人間の力、ほとばしる人間力を感じます。さわやかな那須塩原だけでなく、こうした歴史と人間力を学習するツーリズムも必要だと思いました。

昔からの人の営みの上に、今の豊かさが在ることを忘れてはならない。疏水の存在を知ってから味わう、那須塩原のミルクは格別のものでしょう。