女川も石巻も

ゆとりある記

ある著名な写真家から、1971年の女川原発反対集会を取材撮影した写真をいただきました。ひしめくプラカードから漁民の声が聞こえてきます。40年前にこんなことがあったんだ・・。

一方、少し前の石巻を撮った方の写真展にも行きました。閉鎖した造船所、放置された漁船。産業構造の変化で一気に衰退したまち。いずれも震災があって初めて、今、真剣にこの地に目を向ける自分であります。

海を背に集まった人たちは1000人くらいでしょうか。2台のトラックの荷台のお尻をあわせてステージを作り、「女川原子力発電所設置反対漁民決起集会」の横断幕を張った漁港での集会です。

墨でなぐり書きしたブラカード、「海は漁民の生命だ 我等の漁場を死守しよう」「我等の町は漁業の町だ 原発反対」「子孫のために今こそ立て」「原子病にかかっている野郎ども頭を冷やせ」「地域開発迷惑千万」「後悔先にたたず」。

一様に鉢巻をして長靴を履いた漁師のおじさんたち。頬かむりをして厚手の割ぽう着を付けたおばさんたち。反対運動の決起集会、それに続くデモ。寒い1月のはずですが、パワーにあふれてワイワイとなんだかみんな楽しそうにしている、お祭りめいた表情です。

まだこの頃は、漁業も盛んだった、まちの主人公が漁民だった自信からでしょうか。

石巻の写真は東京在住・竹内敏恭さんの作品展「石巻」です。(東京新宿 コニカミノルタプラザ ギャラリーA 4月21日まで)2002年から2010年の石巻。奥様のご実家の関係で、竹内さんはこのまちを撮り始めたそうです。

造船、鉄鋼、水産、まちの基幹産業がだめになり、まちの隅々まで元気のなくなった海の町が記録されていました。

魚市場でたくさんの魚を計っただろう、放置された大きなハカリ。植木鉢の置き場になった漁業関係の宿の廊下。戸が開けられることのない商店。ひと気のない、元はにぎやかだったまち。

今回、大津波にあった石巻ですが、「それ以前に、産業変化の波にこんなにやられていたんだ・・」ということがひしひしと伝わりました。

私たちは、近くのスーパーで今日安い魚は何?おいしい魚介類のディナーが食べられるお店はどこ?やっぱりオール電化が正解?なんてことには日々興味をもっています。

でも、その魚を獲っている場所、漁のための船、その船を造るところ、魚市場、魚を加工するところ、都会への輸送。同じく、電気を造る仕組み、電気の造る場所、電気を送ること、などなど。そしてそのすべてで働く人たちとその暮らしについて、思い巡らすことなく消費するだけの毎日を過ごしてきました。

東京のぬくぬくした暮らしの向こうには、例えばこの、女川の漁民の戦いがあったり、石巻の衰退があったり、いろいろあるのだよ、ということが今頃ようやくわかってきている都会民なのです。

日本国民でもなく、市民でもなく、ただの消費者だった。女川も石巻も知らなかった、自分が嘆かわしい。そう思わせてくれる写真作品でした。"