地震にあって

スローライフ運動

3月11日、揺れのあと、電車で8分の距離を1時間半かけて歩き、帰宅しました。道路は車と人でいっぱいでした。その後はテレビにくぎづけです。

土・日の、北海道阿寒湖温泉での委員会は中止。月曜の日光市での会議も延期。スローライフの「さんか・さろん」も中止。電車は走らず、スーパーに物はなし。

いろいろな影響がでていますが、被災地に比べたら、たかがこの程度のこと!です。

被災地の地名、映像を見るたびに、あの人は大丈夫か?あそこはどうなったか?と想いをつのらせます。ここでは南三陸町のことを書きましょう。

訪れたのは、2009年の1月のこと。仙台から車で約2時間、海のきれいなかわいい町。「スローライフのまちづくり」について話をするために、うかがいました。役場の方が、熱心にまちをご案内くださいました。http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=44

南三陸町の役場は川のすぐ横にあり、古い建物をいまだに使っていました。「貧乏なまちですから、建て替えられませんよ」と笑う役場の方に、「アンティークでいいですよ」なんて言った私です。1階には私の背より高いところに茶色の筋が残り、「かつてここまで、津波でやられたんです」との説明にびっくりしたものです。

「まちなかの川に、秋には鮭が上がるんです。眠っていると、バシャバシャ音がして、ああ、鮭が相当泳いでるなあ~ってわかるんです」ともうかがいました。「その音を聞くために、わざわざ南三陸にやってくる、そんな旅をしたいですね」と私。会話は新鮮に記憶します。

小さな講演会は山の上の集会所で行われました。「スローライフ座談会」の看板は手づくり、土間にはいくつものストーブが並んでいました。相当の寒さでしたが、下のまちからみんな車で上がってきてくださいました。

こちらが少し話した後、意見のやり取りです。「南三陸のようなまちこそ、これまでの観光ではなく、ゆっくりした時間を町民とともに過ごしてもらおう」という意見がたくさん出ました。

冷えた身体に振舞われたお汁粉が温かく、「野口さん、ここで足をあぶりな」と、囲炉裏端に座っていたおじいさんが席を譲ってくれました。

海辺のホテルに泊り、翌朝は「お魚通り」へ。大きな土産物センターではなく、まちなかのお魚関係の店が何軒かで「お魚通り」と名乗り、観光客を呼んでいます。とってもいい試みだと思いました。

中心になってがんばっている「山内鮮魚店」では志津川のタコを燻製にして「ヒッパリダコ」というアイディア商品を作っていました。農林水産大臣賞、水産庁長官賞受賞が自慢の山内さんです。

店には、新鮮なカキ、三陸ワカメ、タラ、などなど。「商品として小さいサイズの魚は、焼いたり煮たりして付加価値をつければ加工品として商品になるんです」と、山内さん。

息子さんでしょうか、店の若者が説明してくれました「“しっかり朝ごはん”って商品にしたら、これ、都会の人に売れてますよ」。どんなもんだいと、自信にあふれた笑顔でした。

山内さんの仲間「及善蒲鉾」では、自慢のかまぼこの焼き立てをいただきました。おいしかった~。まじめにやってきた証の賞状が並ぶお店、ここのご主人は「蒲鉾の本場、小田原から嫁さんをもらってね」と、うれしそうにお孫さんを抱き上げましたっけ・・・。

みんなどこにいってしまったのでしょう。
どうしているのでしょう。
あの温かな人たち、美しいまちは。

一つ一つ積み上げて、小さな幸せを丁寧に喜び、
築いてきたものが壊れ、流れてしまいました。

今朝、我が家の近くのスーパーに、南三陸町志津川(株)ヤマウチの「しっかり朝ごはん」シリーズを見つけました。「サバ塩焼き」と「銀鮭酒塩焼き」を買いました。パッケージには「焼けています。三陸産の鮭を厳選。湯せんであたためてOK」とあります。

今日、停電したら、うちではこの魚をいただくことになります。まさか、こうして山内さんのこの魚をいただくことになろうとは。

たくさんのサメが積み上げられていた気仙沼港、海辺の温水プールで市民が健康づくりに励んでいた宮古市、すばらしい大根畑で遊んだ田野畑村、被災地は何処も思い出のある土地ばかりです。

今も余震が揺れるなか、わたしたちは何をすればいいのか。「助けて」といわないで、「助かること」と「助けること」を考え、実行したく思います。