千々石休み15「心に咲く花」

ゆとりある記

さて、夏の終わりに行った千々石話をポツラポツラ書いているうちに、もはやすっかり秋も深まってしまいました。夫は千々石で撮った写真も入れ込んで、9月25日から銀座のキャノンギャラリーで写真展を開催。

そして、一昨日、次の開催地仙台へ、千々石の、あの墓の写真、棚田の写真、地蔵祭りやゴーヤの写真、みんな荷造りされて出発しました。いってらっしゃ~い、千々石を宣伝してね~。

千々石休みの醍醐味は、自分をもてなす力を取り戻すことにあると思います。都会暮らしでは、わが身わが心を取り持ち癒すのは、金銭を代償に行われることがほとんどです。カフェで一杯、映画やエステ、いずれも「お金を払うから私を楽しませてちょうだい!」というのが底辺にあります。しかもそれは、企業化されています。

そのつもりで千々石に行っても、何も楽しくありません。ディズニーランドのように、ミッキーマウスが寄ってきて笑わしてくれたり、乗りものが宙返りしてスカッさせてもくれません。田舎の普通の暮らしが、ただあるだけです。

でも、「訪ねる」から、「居る」に気持ちが変わった頃には、そこらに咲く花や、マンホールのふたや、海の夕日、なんでもないことごとがディズニーランドの装置よりずっと素晴らしく思えてきます。これが千々石力なのでしょう。

パンを焼こうとしたのに膨らまずにスイトン状のものになっても、それはそれでおもしろい。棚田のお米を湧き水で炊いてうまくいったら、それはそれはおもしろい。小さなことを大きく喜ぶ技を、この土地は教えてくれるようです。

いよいよ帰る日の朝、掃除が終わると夫は「竹添ハウス」の庭に種を蒔きました。あの棚田の横にたくさん咲いていた百日草の種を、暇な私がビニール一杯採ってきたのです。

種まき中の夫の姿は、まるで一人で踊っているように見えます。あんな蒔き方では、おそらく来年の春、一本の百日草も生えては来ないでしょう。

でも、これで東京に帰っても、私たちに千々石の時間は浸み込み、自分の力で楽しくなる技はスクスク育っていくはずです。のびやかに咲き続けるために、栄養が足りなくなったらまたくればいい、行けばいい。狭い日本だもの、10時間の移動なんてたいしたことありません。おわり。