崖屋造りに泊って

ゆとりある記

木曽川にせり出すように建つ木造、道路側から見ると3階建て、川から見ると水面の近くにもう1階あって、なんと4階建て。がけっぷちに張り付くように建つ珍しい建物群、木曽福島の名物「崖屋造り」。この宿に泊りました、なん
と大雨の日。

増水した川は、既に川べりの散歩道の上を流れます。恐る恐る窓から下を覗くと、宿のおかみさんが「大丈夫ですよ」の一言で支えてくれます。

泊ったのは「森富旅館」、雨に追われるように玄関を開けると、箱詰めトウモロコシがずらり。「開田高原のです、お客さんに頼まれるんです」とご主人。トウモロコシの青々しい夏の終わりの香りが、地下に伸びる階段に流れます。

玄関を1階とすれば、客室は地階と2階、3階は住まいだとか。しかし地下として案内された部屋は、川から見れば1階になるわけで。とにかくおもしろい。

その1階、いや、地下は、川面がすぐそこ。激しい雨と、川の流れが一緒になって、窓を開けるとしぶきが入ってくるほど。なんともダイナミックというかスリル満点というか。

もうかなり古い建物は、なんとなく座敷が川側に傾いているようないないような。そのギシギシ感がなんともいえずたまりません。

「いいですね~こんな建物、壊さないでくださいね~」と喜ぶ私に、おかみさんは「私が元気な間はね」と笑います。確かに、毎日どのくらいの階段を上り下りして物を運び、掃除をするのでしょう。運動になる、なんてレベルじゃありませんね。

しかも「古くなった階段の穴には割り箸つめて修繕したりね」とおかみさん。でも、まあ、嫁いだところが崖屋だったから、なんとなくあたり前に住んでるの、という余裕があります。

珍しい、貴重、すごい、とよそ者は、フガフガするのですが、すごいことが日常のここの人たちには、昔からの家、昔からの風景なのでしょう。

この夜は、私の自慢のイビキなど足元にも及ばない「ゴ~~~~~~~~ツ」という川音に身を乗せた感じで、おかみさんの「大丈夫」を信じて熟睡したのでした。

すごいことがあたり前になっているもう一つは、この雨の日に訪れた音楽会です。“小さな町の素敵な音楽祭”というキャッチを持つ「木曽音楽祭」、なんと37回も続いています。

「東京には情報はあっても文化は育たない」と木曽に住むことを選んだある若い楽器製作者が、「木曽でいい音楽に触れる機会を」と1973年から活動をはじめ、今に至るとのこと。

それからたくさんの音楽家が木曽に訪れ、木曽の人たちはボランティアでその活動を支えてきたのでした。毎年夏に、すばらしい音に触れることはここではあたり前になっている、ということなのでしょう。

私は本当の音楽祭(木曽文火公園文化ホール)には参加せず、その前夜祭コンサートだけに参加しました。これは地元の人たちに向けて、ホットなふれあいとして、という感じの催し。

会場の福島中学校の体育館には雨にも負けず、傘を抱えた地元の親子連れが着席でした。床にグリーンのシートを敷き、簡単なステージに金屏風が立ち、明日から本番の演奏家たちは気軽なジーンズ姿で登場です。でも、曲は本音楽祭のものなども、ですから本格的です。

驚いたのは町の人の聴く姿、子どもたちがぐずるなどということがありません。お母さんの横で背中を伸ばしたまま、ずっと聞き入る女の子。そんな姿が一杯です。

バスケットゴールがあり、「平成4年度卒業生一同 めざせ!一流福中健児」のペナントが張ってある体育館で、こ
この子どもたちは毎年本物の音楽を聴くことが日常になっているのでしょう。

そして、もっと驚いたのはお片付け。大きな拍手でコンサートが終わると、皆、あたり前に自分のイスたたんでしまいます。あっという間に会場は撤収となりました。

崖屋造りの宿の朝、雨のやんだ川の向こう岸を、小学生が登校です。窓越しに眺めるのどかな景色です。「チリーン♪チリーン♪」、木曽福島の子どもたちみんながランドセルにつけている“熊よけの鈴”の音。川音と、いいハーモニーを奏でていました。