新宮の夜

ゆとりある記

先日のこと、新幹線が沿線火災で止まり、京都、大和八木を経て、バスで十津川村へという移動ができなくなりました。仕方なく北からではなく、南から村へ入ろうと、和歌山県新宮駅に回りました。イレギュラーの小さな旅です。階段を荷物運搬していただいたり、満室の宿に泊めていただいたり、バス停を丁寧に案内されたり、地元の方に助けられ、疲れた体にはうれしかったのでした。

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こんな時はまず、好物を口に入れて落ち着くことが先です。もうどうせ最終バスには間に合わない、新幹線が動いたとして、橿原あたりで泊ったとしても、10時のワークショップにはバスではとうてい間に合わない。では、南に動くか。と私は決めたのですが、同じようにオロオロして移動している人で、乗った快速は混んでいました。運よく一つ座席を見つけたわけです。買っておいたビールが役に立ちます。

座った座席の横に居た女性に、「大変でしたね」とねぎらっていただいた後、普通列車に乗り換えます。その乗り換えの時に、トイレに行っておこうと思い立ったのですが、ホームにエレベーターなどある環境じゃありません。キャリーバックはパソコンまではいり、パンパンの重さ。でも、手が抜けそうになりながらよっこらしょと渡り会談を登りました。

すると、乗ってきた快速の車掌さんがここで交替したようで前においでになる。そして「持ちましょう!」と手を出してくれる。こういうことがジンと来ます。甘えました。

紀伊半島の山の村に行くはずが、列車は海など見せながら、のんびり走っていきます。乗っている人はごくわずか。「いい日~♪、旅立ち~♪」なんて唄いながら、19時過ぎに新宮に着きました。私と同じように、切符の払い戻しやら、しているお客さんが一人。駅はシーンとして声が響きます。

駅近くに宿はないですか?「そこにありますよ」「バス停は向こうですよ」駅員さんがいろいろ教えてくれます。コンビニに寄って、バス停を確認。ちょうど通りかかった男性が「十津川に行くならここ。明日の朝、どこか聞こうとしても人なんていないからね」と丁寧に教えてくれます。安心して、ビジネスホテルに入ると、満室の札。

探せばほかにもあったのでしょうが、もうとにかく横になりたい気持ち。どこでもいいので何とか素泊まりさせてくださいと頼むと、一部屋空いていました。「でも、4階。エレベーター無いですよ」と。重いものは1階に置かせていただき、よじ登りました。「ミカンどうぞ」と声がかかり、これは重くてもいただいたわけです。

あっという間に朝になり、早朝の新宮駅。確かに人はいません。風が吹き荒れています。海辺です。そうか、鯨をとっていたんだ~なんて学習。

ふと見ると、私くらいの年齢の女性が、駅前花壇に次々と水やりしています。こんなに朝早くに、手慣れた段どりで。

ここは市民ボランティアが世話をしている花壇なのでした。もう数時間後にはここを行きかう人々が、花や緑を見るのでしょう。彼女は毎朝、仕事前にこうして人知れず、水やりをしているのでしょうか?眠がっている自分を反省しました。

早朝撒かれた水の匂いに送られて、バスに乗ります。これでもう安心。買っていたパンをかじりながら、ちょっとした旅だったなあ~と思いながら。

2時間半バスに乗って、着いた十津川村。少し早いので、足湯でホッとします。荷物は重かったけれど、たまには新宮回りもいいなあ、と思ったのでした。