フクシマのお正月

ゆとりある記

被災地の撮影を続けている夫に付き合って、新年は福島県浪江町・双葉町で迎えました。帰って来れる土地になりつつあっても、とても帰れる状態ではありません。10年という時間が雑草をはびこらせ、獣を増やし、人影はなく、おめでとうの声は聞こえません。更地だらけの“もと町”で寒風に吹かれながら、「コロナばかり騒いでいて、忘れていました。ごめんなさい」と謝りました。

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(人のいない浪江駅前通り)

 

家を取り壊すのか、戻って住むか、元住民は今そんな選択を迫られています。10年と9ケ月前のままの人気のない壊れた家は、その悩みの塊のように見えます。

 

(更地にしても、すぐに草が生えます。浪江町)

戻らないと決めて家を取り壊し、更地にしても、それが今後どうなるわけでもない。ただ草が茂っていくだけ。住みたかったけれど悩んだ末、更地にした方と会いました。「まだ建てて10年位の新築の家でしたけどね、諦めましたよ。動物が入っちゃって糞やらなにやらひどくて。すぐそこにあったんです」

彼はいわきに避難して、そこに新しい暮らしを作り、こちらに通ってきているそうです。「この町の現状をどんどん発信してください。たまには思い出してください」と何度も頼まれました。

オリンピックに合わせて建てた双葉町の駅。立派な駅舎はできても、人はいません。駅前広場を落ち葉がカラカラと音をたてて一枚、ダンスしています。広報が流れました。「町内に一時帰宅の方は、16時になったらお集まりください」15時、15時半とアナウンスがあり、見えないけれどもこの町のどこかにいる人はまた町から出ていくのでした。

暮れに各地のイルミネーションをニュースで見たばかり。震災の年は「節電」とショウウィンドウの光まで消した東京だったのに。今や、コロナ禍に負けずにイルミネーションを楽しむ、という人たちが群れています。コロナ禍という災害に全国が身震いしているこの数年、もっと前から、10年以上も原子力災害で震え続けている人たちがいたことを忘れていました。

(双葉町 歩いているとこういう様子がまだまだあります)