生理の歴史

ちょっとしたこと

「月経から宇宙へ」これは、私が20代初めに雑誌に書いた原稿のタイトルです。当時、女性解放運動のようなことに目覚め、「月経は恥ずかしくない。毎月、生身の身体と向き合う女性こそが未来へ向けての発想が出来る」というようなことを力説しました。それから50年、生理という言葉が定着し、スーパーで生理用品は山積みになる今です。先日は、渋谷パルコで「生理の歴史」展があり、行ってきました。

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正確には「limerimeと辿る整理の歴史」展です。衛生用品ブランド「ライムライム」というところが関係していました。100%近く土に戻るという素材を使った生理用ナプキンを、世に送ろうとしているらしい。なるほど、確かに世界中で毎日使われる生理用ナプキンを燃やすにしても相当のエネルギーがいる、そもそもナプキンを作るのに化石燃料やらパルプが必要なのですから、今後は持続可能な生理用品という視点が必要でしょう。

とはいえ、私が小学生の頃は、まだまだ生理は隠すことで、学校の体育館に黒いカーテンを引き、中で女の子だけが特別な内緒ごとを教わる感じで、初潮についての話を聞いたものでした。家に帰って、母にそれを説明するにもなんとなく言いにくい。恥じることはないのに、恥ずかしいことというのがいつしか植え付けられたようでした。

その後、前に述べたような意識のもとに、生理用品のマーケティングリサーチもどきをしたり、コマーシャルに関わったり、女性の身体についての勉強会を開いたり、機会あれば書いたり、話したりというのが20歳代前半の私でした。

当時、いろいろ勉強や取材もしたのですが、今回出かけた展示で、“もっと早くこの本を読みたかった”と思えた本に出合えました。『生理用品の社会史』(田中ひかる著・角川ソフィア文庫)です。かつて私が素人ながら一生懸命調べたことが、皆載っている。ありがたいやら、懐かしいやら、悔しいやら。読んでみて、またあらためて、冒頭の「月経から宇宙へ」のような意識がふつふつ湧きだしたものです。

生理用品に歴史があるように、女性の月経に対するとらえ方にも歴史があるわけです。人前で話すことではない、生理用品は見えないようにする、汚れた洗濯物は日陰に干す、などの積み重ねは女性であること、月経があることを疎ましく思うようになりがちでした。

もっと昔は、どうだったのかと思います。紫式部はどのように過ごしたのか?米を作っていた庶民の女性は?大奥の女性たちは?漁師の女将さんは?海女さんは?着物袴で法律を学び始めた女性たちは?ブギウギを唄った歌手はどのように踊ったのか?

テレビドラマや小説などには、女性が毎月経験する生理期間のことがほとんど描かれません。「月経小屋」や月経時の禁忌慣習なども出てこない。

昔ヒアリングしたときに、「ぼろ布を詰めていた」「綿を糸でグルグル巻いて詰めた」「あてていた脱脂綿が真っ赤に染まったまま人前で落ちた」「スカートまで汚し、足首まで血が流れた」などの声を思い出します。

そんな苦労を快適にしてくれた生理用品のおかげで、“男性同様”に働らけるようになりました。簡単に手に入る鎮痛剤で、生理痛の苦しみがやわらぎ同じく“男性同様”の仕事を出来るようになりました。私もその恩恵にあずかってきたのですが、なんとなく快適になりすぎて生身の自分を感じる機会が減った様にも思います。ま、今は生理用ナプキンではなく、尿漏れパッドの年齢になっておりますが。

「パルコでこういう展示が当たり前に行われるとは・・・。」と思いながら眺めた渋谷のスクランブル交差点。ここを行き来する人の例えば10分の1が生理中だったとする。しかも生理用品が開発普及していなくて、不安を抱え、痛みを我慢しながら歩いていたとしたら。そもそもこの交差点の混雑も渋谷の発展もなかったかもしれない、など思っていました。