「ひっちゃけた」
出張先の雲仙市で、この言葉を聞きました。高いところから「落ちた」という意味だそうです。こうした土地ならではの表現に出会うと嬉しくて、そこから話題が広がります。小さな日本ですが、多様な方言があるから面白い。共通語なんて実に窮屈、いまや誰もがそう思うっているでしょう。東京に戻り、高層マンションを眺めながら、それぞれの部屋で方言が話されているといいなと思いました。
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(雲仙市地域おこし協力隊・堀口治香さん作 ↓)
雲仙市に限らず、出先でいろいろな言葉や言い回しに出会います。その地に入って、一日経つと、なんとなくヒアリングができるようになりますが、それは相手が気遣って私にわかるように話してくれていることが多いもの。言葉だけでなく発音までかなり違うと、いよいよ聞き取れないものです。
青森県弘前市の公衆浴場。朝湯に入っているときになんだか、湯が流れ出る「グルグルグル~、ズズズズズ~」という音がずっとしている。そう思い込んでいたら、それはおばあちゃん2人が話している会話だったのでした。ジモティーの方同士の普通の会話は、これは本当に難しいのです。
例えば、以前通っていた和歌山県紀の川市では、方言というより「ぞ」が「ど」になる。「雑巾」は「どうきん」、「象さん」はドウさん」、「冷蔵庫」は「レイドウコ」という具合。私などのような立場が「アドバイダ―の先生」と呼ばれました。「小学校の頃、先生が象の絵を描いて、〇ゾウ、と✕ドウ、と教えてくれたことある」と地元の人からうかがいました。
ある村祭りのとき、その開会式で地元の方が司会の台本を作ります。テープカットの時の「はい、どうぞ!」の掛け声は台本上も「はい、ぞうど!」と書かれる。その間違いに誰も気づかない、みんな地元だからです。こういうことが面白いし、私はすがすがしいと思うのです。地元の物差しではそもそも間違いではないのですから。「どうやら、東京やNHKあたりでは、ゾウとかゾウキンというらしい」と多少知識として知っていればいい。
そう思うと、今、外国で、またはかつての日本で、いや、今の日本でも、母国の言葉や自分の慣れた言葉を強制的に捨てさせるということは、自分を捨てろと言われていることに等しいです。都内で、デイサービスに行きたくないとぐずっていたおじいさんが、自分と同じ方言で話す人が居たと分かると、通うようになったという話も聞きました。それだけ、地元の言葉には、自分の存在とイコールの強いものがあるのでしょう。
私の夫は広島出身です。夫の母が健在の頃は、我が家は広島弁が飛び交っていました。私にはどうにも喧嘩をしているように聞こえます。母からの意見も怒られているように聞こえました。その母が「わしゃ~広島弁かのう~」聞きます。なんで?と言うと「ゴロー(飼っていたシェパード)がまくれおったんよ、って言うたんじゃが、お隣さんがわからん顔しおった」と。「まくれる」は「すっころぶ」みたいな感じの転び方。お隣さんは、それはわからなかったのでしょう。その母は、東京で広島弁が話せずに友達もいなくかわいそうでした。
高知では「のうがわるい」といういい方を知りました。これはそのままとると「脳が」と思ってしまいますが、どうも居心地がわるいとか、すっきりしないとか、そんな感じなのだそうです。例えば、セーターを着たときに、その下に着ていたブラウスが片寄って着心地がよくない時。シーツを替えて、どこかにシワが寄って寝心地が悪い、などに使うそうです。身体の具合が悪い時にも。介護の現場で外国人の方が働くとき、地元の高齢者から「のうがわるい」と言われてもわかるように、土佐弁講座が行われているとうかがいました。
方言は面白いし、持ち運べるわが地域です。方言で話すことはどんなお土産を渡すより、印象に残ると思います。東京は各地からの人の寄せ集めのまち、どんな都会でも皆が方言で話せばいいのにと思います。そんな会話が飛び交えば、霞が関も変わるでしょうに。
先の雲仙市で、地域おこし協力隊の堀口治香さんが、方言を見つけては解説し、あたたかなイラストでほっこり紹介する活動を続けています。全国でこういう動きが起こるといいなあ~、と、今回、そのイラストを2点お借りしました。もっとご覧になりたい方は、雲仙市地域おこし協力隊のFacebookをご覧ください。
(雲仙市地域おこし協力隊・堀口治香さん作 ↑)