母と姉

ちょっとしたこと

実家の母と姉の体調が思わしくありません。「一週間の間に2人が余命を宣告されるなんて珍しいよね」と笑う母。「もう着れないから、この服あげるね」と姉。入院せずに在宅を選び、2人とも妙に落ち着いています。私にできることは、料理を作りに行って、一緒に笑って食べるくらい。「じゃあ、また来るからね!」とハイタッチして別れた母の掌は温かいものでした。

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それぞれの病状をここで詳しくは述べませんが、98歳になった母はついこの間までよろよろ歩きでも、台所に立ったり、洗濯をしたりしていました。それがある日の夜、背中の痛み。検査の後に「あと数日かここ一か月かですね」と言われてしまったのでした。母は「私はもう、生きることに全く執着はありませんから大丈夫です」とお医者さんに宣言したとか。同行した孫が驚いていました。

入院より自宅がいいと戻り、翌日からまた洗濯をしているくらい普通ではあります。でもあちこちに「私、もう死ぬらしいのよ」と電話をし、100歳になる母の姉とはラインで顔を見ながら話し、「姉ちゃん綺麗だね。あたしの方がしわくちゃだ」と笑ったとか。「葬式は簡単にするから来なくていいし、香典も無用」と打ち合わせしたそうです。

一方、姉は、この2年半というものコロナどころではなく、発見された病と闘っています。調子のいい日もあれば、高熱で苦しむ日もある。食べられない。「もう36キロよ。トコの半分くらいの体重になっちゃった」なんて言っています。「私、そんな重くないよ!」と私は抵抗しながらも、姉のお下がりの服に手を通すと、自分の肉に呆れます。ま、それで、母と姉の笑いをとるのですから良しとしましょう。

二人とも、めまいで倒れても自分では起き上がれない。15分位動いたら横になる。包丁で大根などは切れない。フライパンは持ち上げられない。お風呂はの湯舟に一人では無理。スーパーに買い物はいけない。シーツは替えられない。掃除機はかけられない。などなど、出来ないことだらけ。

こうなると、一番大変なのが母と姉と暮らす義兄。千葉から東京まで普通に通勤しているので、昼間はどうしようもありません。皆がローテーションを組んで、おかずを作り、掃除をし、お風呂に入れ、ということになります。母からみたら、孫、ひ孫にあたる女子が出動です。

20歳のひ孫は良い経験で、母や姉の指揮の元、料理を覚え、高齢者の入浴のイロハを知り、病院へも同行しています。庭の草取りをしたときのこと、「あの子ね、フキを知らなかったのよ。『裏の庭のハスが茂っていたからハサミで切ったよ』だって!」「丸い葉がハスだって知っていただけでも偉いじゃない」という笑い話も起きる。「味噌なんて最初から入れちゃうんだから」「ジャガイモはドロドロに煮ちゃうしね」と言いながら、二人はひ孫の活躍にうれしそう。

母の孫、つまり姉の娘は一番怖いのだとか。「『ママ、これはもう捨てなさい』『おばあちゃん、座ってて』って命令が飛ぶものね」と姉。「あの子が一番怖いけど、愛情があるよ」と母。そんな活躍する孫やひ孫に交じって、たま~に顔を出す私は役にたちません。「トコが来たからお寿司とってやろうね」と姉。その寿司の母、姉が食べきれない分を私が食べつくし、呆れられるわけです。

食べながら、20数年前に亡くなった父の悪口を言って笑います。「お父さんのカラオケは本当にひどかったね」「夏はパンツひとつでウロウロしてね」「酔っぱらって、仏壇倒しちゃって灰煙の中寝てたね。お酒が好きなのは智子が受け継いだね」こんなたわいもない話です。

イワシを煮て、カボチャのサラダを作って、カブの漬物を切って、アサリの味噌汁にして。「あらあんた、短時間によく作ってくれたね」と母はほめてくれました。帰りがけ、二人が玄関の方を身体はそのまま、顔だけ伸ばして覗きます。

この顔をまた見たい、と思います。庭の花がお土産でした。