スズメはお仲間

ちょっとしたこと

コロナ禍で家の時間が多くなり、いまや外に出るのが恐怖の段階。そうなると窓辺の様子に活路を見出します。昨年の春から、我が家にはスズメのご飯台ができました。自由気ままなこの小さな鳥に、喜んだり、話しかけたり。親子スズメは、親が子に餌のパンを口移しで食べさせています。叫んで先客を追い出すやからもあります。スズメと私たち、同じだねと夫婦で話しています。

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仕事に出ても、用が終わればサッと帰る。友達と喫茶店で会うことはなく、zoom。何人かでお店でご飯・お酒などありえない。買い物はなるべく回数少なく短時間で。最近は散歩すら控えるようになった。という暮らしが長引いておりますと、夫婦の話題も枯渇してきます。三食作り、食べて、片づける毎日。パソコンは目が疲れるし、ふと外に目をやると自由気ままなスズメたちがいる。自然に友達になりました。というより、餌をやり無理やり友達になっていただきました。

本当は野鳥に餌付けなどいけないのかもしれないですが、コロナ禍につき許していただきましょう。主は餌はパンです。食パンの一番安い8枚切り一斤88円などというのを「チュンチュン用」と買ってきて、毎朝、細かくちぎって差し上げます。スズメたちも慣れてきて、私たちが起きる頃になると、窓の手すりや物干しざおに止まり、「チュルン、チュルン♪」と甘えた声で催促するようになりました。

そうなると可愛くて、夫は「はいはい、おじちゃんがあげようね~」などと言いながら、かいがいしくパンをちぎります。「まったくおばちゃんは朝寝坊だからね~」などと、スズメに愚痴をこぼします。「そんなことないよ、おばちゃんはパンがなくなったらお代わりすぐにあげるもんね~」などと私もスズメを味方に取り込もうとします。いつの間にやらわが夫婦はスズメの叔父叔母になってしまった。

ま、子供も孫もペットもいないあっさりした暮らしのまま自己幽閉となると、数羽のスズメがこんなに愛おしく大事なお友達になるというわけです。昔なら、田んぼに群がるスズメは追い払う対象だったのでしょう。都合で態度をコロコロ変える、人間は勝手なものです。先日、中村桂子さん(JT生命誌研究館名誉館長)のお話を伺いました。「人間は、『自然にやさしく』などと、自分は自然の一部ではなく上から目線でいる」と、耳に痛いお話でした。「いま、地球上にいる生き物は、すべて、38億年前の出発は一緒、皆仲間」とのこと。まさに今は、スズメはお仲間となっています。

先日仕事の用で遠くの方とzoomで話しているときに、窓が開いていたようで、「チュンチュン」の声が実に賑やかでした。東京・新宿・四谷のそれとは、声の勢いや数が違います。打ち合わせもそこそこに、そのスズメの声に聞きほれました。「あ、うるさいですか?」と先方は気遣ってくれたのですが、
とんでもない、スズメと一緒に打ち合わせでこちらは大喜びなのでした。

スズメに注目すると、ほかのことにも目が行くようになりました。早々と目が覚めたとき、床の中でだんだん明るくなるのを感じる時間、必ず毎日鳴く鳥がいます。よく通る声で、楽しそうに晴れやかに。
私は勝手にホトトギスと決めていますが、今頃、この都会で居るのかは?ですが、「ホトちゃん」と呼んでいます。この子がさんざん歌っていったあと、遠くはるか上空の方、また高層のマンションの上でゆっくり、「カ~~~~~~~~~~~」とカラス。そして近くの樹でセミが、短く「ジーッ」と。寝とぼけて一声鳴いて、また寝た感じ。セミの寝言かな。そして明るくなるにつれ、遠くの方からだんだん「ジッ、ジッ」「チッチッ」とスズメたちが近寄ってきます。こちらのカーテンが開くと、それとばかりに寄ってきて「チュルン」の合唱が―――。

このまま、きっと秋になっていくのでしょう。コオロギの声も加わってくるはずです。いろんなお仲間が身近にいたこと、気づいてよかった。「おばちゃん、良かったね~」と窓辺のインパチェンスの花が揺れました。