「つらいよ」

ちょっとしたこと

『男はつらいよ』『家族はつらいよ』山田洋次・作の映画を、週末のテレビ放送で見ました。寅さんはもちろん、リリーもタコ社長もつらい。「家族」の方でも高齢者はつらい、嫁もつらい。大笑いしながらも「つらい」って言うの、いいなあと思いました。「大丈夫!頑張ろう!」はもうやめて、素直に弱さを見せて「つらい」と声に出しましょう。本当に「みんなつらいよ」ですもの。

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通勤電車の中で、マスクをして赤ちゃんを抱いてあやしているママさん。これから赤ちゃんを預けて出勤なのでしょうか?くたびれきってつらそうです。電車の中の人はほとんどスマホ中。寒風の吹き込む車中で、ジッと何かを耐えているように見えます。みんなが全員、スマホに「つらい、つらい」と打ち込んでいるようにもみえます。

みんなそれぞれ「つらい」のだけど、なかなか声には出しません。耐える国民性なのか、大人はそうあらねばと思っているのか、もうあきらめているのか?

私のような仕事ですと、皆さんを励ましたり、大丈夫大丈夫と元気づけたり、前を向こうよ、頑張ろうよ、「つらい」なんて言わないでね、というのが常です。でもこれもまた不自然でして、本当につらいのに、私もつらいのに、「頑張ろう」はもはや嘘っぽいのです。

映画の出演者はズバリ「つらい」とは言いませんが、皆さん正直で、本音の言葉をぶつけます。「ああ、いやだいやだ」「もうこりごりよ」「ダメだ、もうダメだ」「馬鹿だね、本当に馬鹿だね」「お父さんはケチ」「このお金は誰が払うの」「うな重ご馳走するから家族会議に出てくれ」「なんでうちは家族がこんな風になっちゃったのかね」「いつまで年寄りを働かせる国なんだ」「あいつが一体どんな悪いことしたってんだ」

記憶は不確かですが、気取っていない言葉がポンポン出るとすっとします。私も大声で「あああ、もうつらい。我慢できない。やってられないよ~。もういやだいやだ」とわめきたいのでしょう。誰かに訴えると、口に出すとスカッとするものです。それを小出しにしていかないと、ある日ポキッとみんな折れてしまいそうです。爆発しちゃうかもしれません。

コロナでお金が入らない、仕事がなくなった、子どもが休みになったのでパートに出れない、逆にパートさんが来てくれないので工場が回らない、催しができるかどうか、集まることができない、お客さんがお店にこない、お金を使ってくれない、気をつけていたのに感染した、濃厚接触者になった、家族にうつした、病院に入れない、ご飯を作れない、、、、「つらいよ」はどんどん重なっていきます。

生ものである「人間」が暮らすには、過酷すぎる東京は「つらい」。でも、地方も同じく、いっぱい「つらい」。この際、とことん「つらい」と言って、作り笑いは止めてみませんか。もちろんそうは言っても、「つらい」と言っても変わらないのでしょうが、少しはのどのつまりが楽になるような。

そこから何かが始まるようにも思います。あ、また頑張ろうとしちゃった・・・。