「サンマ寿司」と「めはり寿司」

美味しい話題

十津川村ではお正月に「サンマ寿司」を作る習慣があります。それもなれずしです。一方、高菜の漬物でご飯を包む「めはり寿司」は日常的に。先日その両方をいただきました。サンマのなれずしは3カ月物。発酵した酸っぱいご飯が実に美味しい。めはりは自分で作りました。古漬けは、ご飯に深い香りと塩味を施します。どちらも地域の食文化に、時間が加わって味を高めていました。

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あるお宅へお邪魔しました。大きな太い梁がある古いお家。天窓の下には囲炉裏があり、そこに垂らす自在鉤がしまわれています。昔の鉄砲で作ったものだそうです。

囲炉裏のところに置かれたテーブルには、春のかわいい室礼が。

手作りのお菓子と珈琲をいただき、これでおいとまと思っていたら・・・。

なんと、サンマのなれずしが! これはもう、帰るわけにはいきません。

暮れにまずサンマを求めるところからが大変だそうです。サンマ寿司にするサンマは脂がのっていてはダメ。やせ細っていないと。「私のようじゃダメなの」と奥様。北海道を出発したサンマが、ちょうど紀伊半島あたりでは痩せて、このお寿司にちょうどよくなるのだとか。それが最近はなかなか手に入らない。数百本も漬けるというこのお宅は、魚屋さんに頼んでおくのだとか。それでもなかなか難しいそうです。

「この辺じゃ“やり寿司”と言ってね」とご主人。槍の様に尖っているからかと思えば、人にお分けする、やる寿司だからこの言葉があるとか。サンマをまず塩漬けにし、塩を洗い、その後、柔らかいご飯とともに大きな樽に漬け込む。昔、塩サンマしか手に入らなかったころの山のご馳走なわけです。漬けてそんなに熟れていないものをお正月に食べ、その後は少しずつ。私がいただいたのは3カ月経っていました。

日本酒があいます。

明治時代、災害で十津川村から北海道に移住した人たちが築いた新十津川のお酒が、なんとも美味しくて。トウガラシを効かせて最後の頭を口に入れると、夢のようななれずしタイムは終わってしまったのでした。出来立てのサンマ寿司がなれずしになるのは、何時からなのか?日にちというより味でしょうけれど、そのあたりをうかがい忘れました。漬け込んだ樽など見せていただきたいものです。

翌日は「めはり寿司」でした。このブログで何度も書いてきている「めはり寿司」ですが、自分で作るのは2度目です。今年は雪が多く、在来種の高菜の畑はまだ葉が伸びません。新漬けは無いので古漬けを使います。

私的には、この古漬けが好き。発酵臭がたまりません。

寿司と言ってもお酢は使わず、まずはご飯を楕円形に握ります。おかかと高菜の下の方の茎の部分が細かく切って混ぜてある。これだけで、もう美味しそう。おにぎりが大きければ、本当に目を見張って食べる「めはり」になりますが、今回は食べやすい大きさにしました。まずは根元を手前に葉を広げます。手水代わりにポン酢を使います。広げた葉の真ん中におにぎりを横向きに置き、茎の部分を手前から向こうに。そして左右から葉を巻いて、ご飯が出ないように包みます。

出来上がりが、下の写真の右二つのようになればOK。こうして作れば、楕円形のめはりを細いほうからかぶりついたときに、高菜の強い繊維が嚙み切れるとのこと。初めて知りました。海苔の手に入らない山間での携帯食、高菜の古漬けが大活躍です。

十津川村の寿司2品。寿司と言っても「なれずし」と「めはり」、江戸前寿司とは違います。生きの良さよりも時間の経過が美味しさを育てたもの、こういうものを当たり前に作れる人達を心から尊敬します。買うことしか知らない都会人は、年に数回はこの村の洗礼を受けなければ・・・と思うのでした。