繋がるって?

ちょっとしたこと

「繋がりたい」「繋がりを大切に」などと、最近、繋がり流行りです。私自身“つながりコーディネーター”なんて名乗りだしていますが、はて、繋がるってどういうこと?と思ってしまいます。家父長と子どもの関係、職場の上下関係、婚姻制度にのとった男女の関係、これらにおいても繋がりとよく言われますが、私のイメージではもっと新しい、平かな、繋がり方です。いかがでしょう。

 

こんなことを考えながらふと乗っている列車の上に目をやると、こんな広告がありました。もっと繋がる、とありますが誰とどう繋がりたいのかが分かりません。

ただ大人数と知り合うのなら、SNSを駆使すればいい。でも今日昼ご飯を食べながら、ご一緒した方から「Facebookなど、一時、離れたくなったんです」とお話を伺いました。ホント、私もこれ以上、人と会いたくない、話したくない、繋がりたくないと思うときもあるわけです。かと言って、今日も、「広く発信し、皆と繋がるために」なんて言いながら、Facebook講座を応援したり、私自身、LINEで知り合いを追加するやり方を覚えたり、なのです。

仕事上、確かに繋がっていくことは大切とは思いますが、フガフガして大勢と繋がったつもりでも、なんだか違います。居心地が悪い。結局、心許す人はほんのわずかですもの。

また、肉親だから、親戚だから、恋人だからと迫られても、なんだか暑苦しいこともありますよね。ずっと離れていた肉親よりも、自分の思想や考えが同じ仲間との方が、繋がりは濃く感じます。という風に理屈をこね始めると、便利な「繋がり」という言葉にいっぱい???がついてしまいます。繋がったことを利用して、お金儲けしよう。繋がったから即、宗教に勧誘しよう。そう思う人もいるし、それが悪いとも思いませんが、無理やりというのは良くないと思います。

ではどんな繋がりが心地よいのか?私的には、弱い自分や哀れな自分をさらけ出しても平気な相手、相手のそういうところも受け入れて、何とか支えてあげたい、そんな繋がり関係が理想です。またそれだからこそ、朗らかに一緒に笑い合える繋がりでいられるわけです。それには、制度的な取り決めや、組織の介入はありません。血の繋がり何ていうのもありません。個と個の関係です。その線的な繋がりが、はびこるように伸びて、結果的に広がったのなら、それはそれ。無理に輪を広げましょうと努力して息苦しくなっては違いますよね。

便利な言葉は確認が必要、そして小さなほっこりした繋がりを私は好み、大事にしたく思っています。