戦争イヤ、写真展

ゆとりある記

「戦争イヤ」というタイトルの、夫とその生徒さんの写真展を見ました。広島の街に残る被曝ポンプ、日本軍毒ガス製造時の防毒マスク、今も残る各地の戦争遺跡、英連邦兵士捕虜の墓。そして、広島での被曝バイオリン演奏風景。ウクライナの人々のデモ。あらためて「イヤ!」の気持ちが湧きます。「我々は、微力だが、無力ではない」作者の言葉です。8月2日まで。新宿御苑前で。

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この写真展は私の夫の金井紀光と、彼がゼミを受け持っている現代写真研究所という写真学校のゼミ生さん・清水和雄さんの二人展です。長年、広島の8月6日を撮り続けている金井と、戦争遺跡を撮り続けている清水さんが、世間がきな臭くなり、実際に戦争が起きている、今こそ、自分たちの写真作品を発表し、世に問う思いで開催したものです。

 

冒頭のあいさつには、こうあります。

<戦争は、遠い過去の出来事ではありません。ロシアのウクライナ侵攻で、現実的なことになっています。ロシアは、核の使用もちらつかせ、引き下がる気配はありません。世界は、再び戦争の危機に陥っています。
日本各地には負の遺産である、戦争遺跡が数多く残っています。その一つ、広島県、瀬戸内の島「大久野島」は戦時中、毒ガス製造の島でした。今も、そのおぞましさを留めています。
一方、8月6日の広島原爆の日には、戦争を想い、平和を願う多くの人々が広島平和公園を訪れます。また各地で、それぞれの立場で非戦を願う人がいます。
「戦争イヤ」の思いは誰にもあるのです。
それらを取材することで戦争の記憶をたどり、その実相に迫ります。ロシアの蛮行を目の当たりにした今、平和の大切さを皆が強く訴えなければと考えます。>

入り口を入ると、広島の原爆被害の写真が並びます。小学校でたまたま地下の下駄箱近くで靴を履き替えていたために助かった3人の子どもの話。街なかに今も残る「被爆ポンプ」と呼ばれる、井戸のポンプの残骸。ベトナム戦争で傷つき、広島へ治療に来ていた少年を撮ったはるか昔の写真。次々と作品を見て、説明をうかがううちに、戦争は遠い昔ではない、いま私たちはその中にある、今もその中に居る、ということを実感してきます。

日本軍が毒ガスを製造していた島の建物、そこで働いていた人の証言、いまやリゾート地になっているその島。人間魚雷の訓練基地。そこで訓練中に死んでいった人達。戦争末期、松やにを取ってそれで飛行機を飛ばそうとしていたという愚かな過ちの証拠となる松の木の傷。日常の暮らしの中に残る憲兵が見張りしていた建物。一つ一つが私たちに「知らなかった、すみません」と思わせてくれます。

この暑い夏、エアコンのきく部屋の中でひっくり返って高校野球のテレビを見ているうちに、日本はまた、ついこの間の戦争を始めようとしているのでは・・・と考えさせられます。

さらに作者たちは「私たちは微力だが、無力ではない」と語ります。微力ではあってもそれぞれの立場で何かしら行動を起こさないと、再び戦争だよ、ということでしょう。

「ほとんど映っているいる人が女性なんだけど、世の中の決定権を持っている人の半分が女性になったら、違う世界になっているはずだ」そんな会話も作品の前で語られました。

金井の写真は作品性の高いもの。清水さんの写真は資料性の高いもの。二人の写真から「ね、戦争イヤだよね。イヤって意志を示そうよ」と強く言われた気がします。8月2日まで。東京新宿、丸ノ内線新宿御苑前駅から歩いてすぐ。アイデム「シリウス」で。最終日は15時まで。

毒ガス製造時に使われた防毒マスクの写真が、広島の原爆慰霊の灯ろう流しで合掌する少女の写真が、それぞれ展示されているその横を、インバウンドの方々が大荷物で観光旅行中でした。