黒谷和紙

ゆとりある記

おなじみの京都府綾部市で、うかがうことなく心残りだったのが「黒谷和紙」の里。このたびご案内で、ようやく短時間ながら集落にお邪魔しました。清らかな流れにハヤが泳ぎ、家々は昔のままじっと佇んでいるようです。移住者で紙漉きに励む人、新製品の販売、展示コーナーには紙製の帯や着物も。かつての名人女性たちの肖像写真が、「もっとゆっくりおいで」と笑っていました。

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黒谷は800年以上も前、平家の落人が逃げ込み紙すきを始めた、と言われるところです。清らかな水の流れ、水の音だけがささやく、静かな里。「黒谷和紙会館」にうかがいました。

早い時間だったせいか、来訪者は私一人。丁寧にご説明をいただきました。

日本各地に和紙の産地は残りますが、なかでも黒谷は伝統的な製法を守り、貴重な純正手すきの産地として、世界的にも知られているとのことです。

桂離宮の襖紙に、京都御所の修復に、ワシントン日本大使館などにも使用されている強靭な黒谷和紙。生活に密着した障子紙、提灯紙、呉服に関連した紙に多く使われ、明治以降は綾部で養蚕業が発展したことで、繭袋などにも使われたそうです。

2階には資料展示館があり、興味深いものが並んでいます。

ここで最も古い和紙、約400年前のものだそうです。

黒谷の家々のほとんどは、紙すきに関係することで生業を立てていたそうです。紙を中心に、集落の方々は支え合って、肩よせあって、暮らしを作ってきたのでしょう。

着物好きの私にとっては、よだれが出そうなほど魅力的な和紙の帯。締めやすそうだし、軽そうだし、、、あああ、ほしいなあ。

川の向こうには作業場がありました。冷房がない、暑い!私のような見学者はいいですが、ここで働く方は大変でしょう。

建物のなかにも水が引き込まれている、昔からの紙漉き作業の場です。

ここの紙すきをしたくて移住したという方が、汗をふきふき頑張っておいででした。

材料の楮の不足、その栽培から始まって、紙に至るまでの手間を考えると、高価になって当然と思います。それが今の生活には、だんだん出番が少なくなっていることが残念。ハガキを漉く体験などがありますが、それだけじゃここの技術を支えられない。

かつて誰かが放り投げたのか、作業中に飛んだのか?天井近くの梁に張り付いた紙の材料が、乾いて模様のようです。「和紙はいいなあ~」というのなら、もっと何とかしなくては!と思いました。

蛇行した小さな川はすぐにあふれるそうです。それに道幅も狭い。おもしろいことに、各家に入る“橋”がそれぞれあって、そこに“クレーン”がついている。

車が通りすぎる時には、橋に一台入って、すれ違う。大雨の時はクレーンで橋を上げる。この小橋は、黒谷の工夫に満ちた暮らしの象徴のようです。

さて、もう帰らねばならない時間となりました。「黒谷和紙製のUSB入れが可愛いなあ~、クリップもいいなあ、髪留めも。こういう和紙小物を皆が持つようにすれば、この技術保存に繋がるのに・・。そうだ、名刺入れは買っていこう。そして名刺交換のたびに、これは黒川和紙で、と説明するようにしよう。」

私にできるのはこのくらいのことですが、もっとゆっくり来て学ばねばなりませんね。冬の作業はひたすら冷たいのだそうです。2階に飾られていた歴代の紙漉き名人たちの写真、皆さん女性です。手間ひまかけて暮らしを漉いて来た方々です。あかぎれなどできて、辛かっただろうな。こういう生き方があったんだなあ。いろいろなことを考えました。