世田谷・祈り・希望

ゆとりある記

「東日本大震災復興支援 世田谷の集い」という催しに行きました。東京世田谷区二子玉川緑地運動場、半袖では寒いくらいの東京の夜。ステージを眺め芝生に座っていると、ついに雨が降り始めました。

観衆がざわつきます。みんな帰るかと思ったら、どっこい、傘をさしたりカッパを着たり。濡れながら舞台とともに歌います。巨大な電飾の「祈り」と「希望」の文字が輝いていました。


「がんばろう東北・北関東 とどけよう世田谷の熱い想い!心ひとつにして」というチラシをいただいて、私は復興支援というよりも多摩川の河川敷にひっくり返ってビールを飲みたいな、と素朴に思ったわけです。8月20日(土)、ちょうど夫も留守、自由、自由。

通称「ニコタマ」と呼ばれる二子玉川に着いたのは18時過ぎ、前日から急に涼しくなったため、ビールはあたたかいのが飲みたいくらいの気温。なのに、家族連れやまじめそうな女性たちが、赤いピカピカ棒を持った警備のお兄さんの誘導で河川敷を目指しています。

東北地方からの物産展には人が群がっていました。岩手県滝沢村のスイカを丸ごと買ってぶら下げる人、イワナのつかみ取りで「もう4本目」と自慢げな女の子。「は~い、完売、完売」なんて叫んでるテントもあるので、それなりの売上げはあったのでしょう。

缶ビールを買って、いざステージコーナーへぞろぞろと。正面右に「希望」、左に「祈り」の大きな文字が光ります。もって行ったシートを敷いてゴロリン。テノール独唱を聴きながらのビールのおいしいこと。

ふと見ると、少し横で若い女性連れのカンカン帽子オヤジがワシワシと枝豆を食べています。ここは、飲み物はいいけど食べ物はダメなのに。私だって枝豆、我慢してるのに・・。と心でつぶやく私。

オヤジはもう何本もビールを飲み干したようで、連れの女の子との会話は大声になります。そして、やおら「おい、兄ちゃん、横に動いてや。見えねえや」と、前に座るカップルに言い出しました。

「自分が動けばいいじゃないか、何様だと思ってるんだ」とカップルのお兄ちゃんは反論します。お、どうなるのやら、と思ったら、「うるせえ、馬鹿やろう」といいながら、あっさりオヤジは左へ、兄ちゃんは右へ動き、めでたく2カップルの視野は確保できたのでした。


ステージは進んでいます。『雨ニモマケズ』の朗読。公募された100人を超える合唱団による『大地讃頌』の歌声。世田谷区の小学生と被災地小学生との交流を報告する作文朗読。地味なステージですが、ひたひたと心に言葉が届きます。私の目の前の親子は、ずっと真剣に聴いています。


世田谷区立砧南中学校の生徒3人の発表、「砧南中学校人権宣言」の「誰もが安心して楽しく学校生活を送る権利を持つ」というこの考え方を被災地まで広げたい、と。立派です。

横のさっきのカンカン帽オヤジを観ると、膝に両手を置いて中学生を見つめながらウンウンと大きくうなずいていました。

宮城県女川町出身、世田谷区在住の俳優・中村雅俊さんの歌が始まりました。ここで雨です。みんなが立ち上がりました。帰る人もいますが、雨対策です。私もレインコートを着てシートをたたんで、リュックを背負いました。

ビールの最後を飲み干すと、空からの雨が顔を洗います。みんな濡れながら聞いているんだもの、中村さんも濡れながら歌っているんだもの、盛り上がんなくっちゃ。私の隣の単身女性は既に前のほうに移動、続け!と私も移動。

頭の上で手をたたきながら、歌いながらのフィナーレです。ああ、気持よかった~。

真っ暗な中の帰り道、後ろを歩くおばさん3人が興奮してしゃべります。

「あの歌が良かったわね。“人はみなひとりでは 生きてゆけないものだから”っていうの」「ああ、『ふれあい』でしょ。泣いちゃったわよ」「中村さんていい人ね、『ずっと被災地のことをおもってください』って。ほんとうだもの」「私たちはこうしてコンサートなんて来てるけど、向こうはね」「でも、久しぶりに多摩川に来て懐かしかった」「よく水遊びしたんだけどね、ずいぶん整備されたのね」「ちょっと旅行したみたい、近くなのに。良かったわ」

結局私も4人目のおばさんとしてお仲間に入り、だらだらと名残惜しそうに歩いて帰ったのでした。