父の教え

ちょっとしたこと

私が高校一年のとき、父から真顔で「智子、和服で一人で、店でお酒を飲める女になりなさい」と言われました。その後、家出を図った私は、ずいぶん親不孝を重ねてきましたが、この教えだけ守りました。最近は着物は着ませんし、店にも入れない状況ですが、お酒を飲める女であることは誇らしく思っております。家人はお酒は飲めないので、一人、家飲みではありますが。

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さて、高校生の娘にそんなことを語った父が何を考えていたかはわかりませんが、お酒好きの父は自分の娘二人の結婚相手と一杯やるのが夢だったようです。それが姉も私も一緒になった男性は、お酒はダメ。わが夫はビール一口は飲みますが、義兄はアレルギーを起こします。なので、晩年、父とお酒を飲むのは私の役でした。

実家ではワインかブランデー、外ではビール、日本酒、焼酎、紹興酒とまあ何でもよいわけで、お酒について深いこだわりやうんちくは父にはありません。店でビールを頼んで大瓶が出てくると私と目を合わせてニコリとする父でした。料理の酒の肴もこだわらない。冷奴と枝豆があれば充分。

飲むことが好きで、飲めば語り、陽気になる人。泣いたり怒ったりするお酒ではなかったので、それは私も受け継いでいるような・・。でもまあ飲みすぎて、東京音頭を踊り続けたり、家にたどり着けなかったり、階段から落ちたりという出来事は何回も。

さてコロナ禍で家飲みが増えました。外で食事しながら皆でワイワイと飲むのが大好きな私にしては物足りない。特に地域おこしなどが仕事ですと、行った先でまずは飲みましょう!という交流をしてきたので何とも身動きが取れません。出張先でまっすぐホテル、1人でお弁当を食べるなんて!!これがコロナ禍というものなのでしょう。

今や出張もなく、都内に居るので、毎日家ご飯。夫と外食をしても、ビールも飲めない。それじゃあ家でご飯してお酒もとなります。そうなると、家のお酒がどんどん減ります。家では「いいちこ」と決めていましたが、これが減る。美味しい紹興酒などは即なくなる。

ほかのお酒に手を出しながらも、ベースの焼酎はいつも置いておきたい。で、結果、先日、生まれて初めて、4リットルの焼酎を買いました。このサイズで「いいちこ」があればよかったのですが、仕方がない。それに父譲りで銘柄にあまりこだわりはありません。酒屋に一緒に入った夫は「恥ずかしい」とレジに並ばず、持つのもいやがる。私が抱いて帰りました。

「だって、農家さんの縁側あたりにこの入れ物ゴロゴロ転がってるよ。漁師さんの家じゃこれを回して飲むよ」と私にとっては身近な4リットルなのですが。「大きくて邪魔、狭いアパートなのに」と。「この空き容器は災害時に給水車に水をもらいに行くときに便利だし、花に水をやるにも便利。この容器は昔からほしかったの。ほら、即席着けを作るときの重しにもなる」と言っても効果なし。彼の美意識には、妻がこの焼酎を持ち上げてコップに注ぐ姿が許せないらしい。Facebookに写真を上げると、「ついにそこですか?」とか「超えてはいけない領域に入りましたな」とか、多少呆れながら、お咎めのコメントも。夫の味方が多いのでした。

父の教えをもう少し補うと、「昼に飲みたいときには蕎麦屋に入れ、蕎麦屋なら必ずお酒がある。ザル蕎麦を頼み、海苔のついたところで一合のみ、少しくっついた蕎麦にちょいちょいと酒を撒いてほどきながら2合目、もう少し飲みたかったら焼き味噌を頼め」でした。これは何度も実行していますが、
私的にはお蕎麦は即口に入れた方がいい。父のようにゆっくり構えてザル蕎麦だけで蕎麦屋に陣取られては、お店も困るでしょう。まあ、これはサラリーマンの父が入ったような街の蕎麦屋の話。今の上等な蕎麦屋のように、板わさや焼き海苔などで飲ましてくれる環境はなかったのかと思います。それでも「昼に飲みたければ」の教えは鋭いと思います。

夫はご苦労様にも、「あんたが飲む酒の量、一生分を計算すると家が建つ金額になるよ」と数字を突き付けてきます。「じゃああなたの、あんパンやおはぎ、コーヒーを一生分計算しようか?」と私もすごんでみるのですが、負けは目に見えています。

でも、お金がかかっても、多少健康に悪くとも、お酒は楽しさを作ってくれるもの。コロナで鬱々した時にも気分爽快になります。お酒好きにはお判りでしょう。父上、蕎麦屋でも、着物でもありませんが、本日も一人で4リットルを抱え、飲みます!