芽や根の力

ちょっとしたこと

オフェイスの緑化が進んでいます。緑があるのはいいですが、でも、業者任せで入れ替えられる緑には愛着が湧きません。生きる、伸びる、芽も根も感じないのでは、緑は壁や柱と一緒のただのハードでしょう。あ、芽が出てきた。水は足りてるかな。根詰まりしてないかな。力強い生き物としての植物の世話をして、緑と関わることで、初めて心の緑化ができるはずです。

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花好きの両親に育てられて、いつでもどこでも花や緑がないと落ち着かない性分です。なので趣味は園芸なのですが、庭もベランダもないとなると、わずかな緑を愛でるだけ。まあそれだけでも私は十分に癒されてはいます。そういう目で見ると、せっかく身近に緑があるのだから、もっと世話をしたり、観察したらいいのに、と思うことが多々あります。

すぐ近くに建築事務所があり、事務所のなかは見事に観葉植物だらけなのですが、通りがかりにみえる様子はみんながパソコンを見つめているだけ。業者さん鉢の入れ替えをするのを見かけますが、社員さんが鉢に水をやっている姿は見たことがない。外の玄関前の大きな鉢はカリカリに乾いていて雑草も茂っています、これは業者さんの契約に入っていないのでしょう。IT企業にもこういうことは多く見受けられます。緑を置けばいいんでしょ!という態度。社員の方はおそらくなんていう名前のどんな植物かも知らずにいる。緑を生き物としてとらえていない。

私のいるアパートの隣の家がホンコンカポックを剪定するとき、小さな一枝をいただきました。ペットボトルに挿していたら2ケ月ほどで根が伸びました。全く日当たりの無い、オフィスの棚の上です。緑がないと、と生け花代わりに生けていたのですが、ある日小さな根が出て、水を替えるたびにそれが伸びていて、とうとう植木鉢に植えることになりました。「すごい生命力だなあ~」と今度は多少日が当たる場所をつくり、世話をしていると、なんと新芽がどんどん出てきます。そして昨日はびっくり!鉢の下からも根が出ていました。もっともっと伸びたいと、根は行き場を探っています。

たかがかこれだけのことですが、なんだか私は元気になります。「あらすごいね~」などと声に出します。疲れているときや、自分が落ち込んだりヘトヘトのときに、こういうことがあると急に力が湧いてきます。空き瓶に生けていた槙の枝からは新芽が伸びています、この緑も美しい。古い葉と違う緑。一緒に生けていたドクダミは、花が終わったかと思ったら、小さなつぼみが膨らんでいます。「あらまだ終わっていなかったのね、ごめんごめん」と水切り。こうして付き合っていると、芽や根がいろいろなことを教えてくれて、「おつかれ~」と私の肩をたたいてくれる、心をほっこりさせてくれる、頑張れ~と言ってくれるのです。

どうでしょう?オフィスの机に花器に花とは言いません、空き瓶に緑の一枝を活けませんか、そしてその世話を各人がしませんか。植木鉢ならなおさらよいでしょう。それによる心の緑化効果は、個人にも企業にも有益と思うのですが。