和紙を知る
奈良県吉野町国栖、吉野和紙の里で「福西和紙本舗」を訪ねました。
ここで漉く“宇陀紙”と呼ばれる表具用の薄い和紙は、世界の博物館で美術品の修復作業に欠かせないものだそうです。
楮の栽培から始まり、紙を漉き、出荷するまでの総てが手作業。普段、私たちが使い捨てている紙とは、全く次元の違うものです。
ほかにもいろいろな材料や色の和紙がどっさり。驚きの連続でした。
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私は、大変気軽に紙すき体験などやってみよう、と訪ねたのでした。
福西正行さん(55歳)はここの六代目、いただいたパンフレットには「表具用手漉和紙製作」選定保存技術保持者、奈良県伝統工芸士、森の名手・名人とあります。
国栖の名士でもある福西さんが、まさか私の小さな体験に付き合ってくださるとは思いませんでした。
「賞状みたいな大きな紙にする?葉書にする?」と聞かれ、迷わず葉書を選びました。
既に大きな入れ物に楮の繊維がふわふわと混ざったとろとろの液体があり、8枚の葉書サイズが一度に漉ける木枠が用意されています。
福西さんが木枠のむこうを持ち、私がこちら側を持ち、ざぶっといれて、軽く揺すればOK。(写真は同行の方の手です)
上から色を付けたり、桜型の切り紙をのせたり。もう一度上から、紙の素をかけてよしずをめくり、漉いたものをはがすと、あとは水を切って乾かすだけ。何だかとても簡単でした。
ここでは、こうして小学生でも紙漉きができるように道具から考えているそうです。
地元の子どもたちは卒業証書を自分で漉くという幸福も味わえるわけです。
こうした努力が「日本に和紙あり」という誇りを、一人でも多くの人に伝えることになるのでしょう。
窓から自然光が入る場所で、お母さんと、奥様が作業中。まるでお寿司に使うかんぴょうのように見えたのが楮でした。
紙は漉くだけでない、まずは材料の楮を育てるところから始まり、工程は46もあるそうです。
剃刀を持って窓辺でやっていたのは、「塵切り」という作業。
楮に少しでも汚れがあったり、傷のついたところがあると、白い紙になりません。
漂白をしない、古来からのやり方を守る、となると、ただただ念入りに「塵切り」をする。重要な作業なわけです。
少し小高いところにある福西さんの家、昔は車の入る道がなく、楮を水に晒すために細い階段と坂道を川まで通ったとか。
「今はずいぶん楽になって」と、奥様の初美さん(49歳)が話してくれました。
奥様が紙をしまってある別棟に案内くださいます。和紙と一言でくくれない、様々な紙がどっさり。
杉の皮が混ぜてある荒々しい表情のもの(写真)、塵切りしたときにでた楮の切れ端で漉いたもの、楮の皮の入ったもの。
色のついたものは、草木染。黄色は合歓の葉で、緑はヨモギの葉で、薄桃色は桜の皮で、紫は榊の実で色を付けて漉いているのだとか。
灯りをつけると紙が痛むから、薄暗い紙庫。ここで、いろいろな紙が静かに息づいているように思えます。
世界各地から注文のある「宇陀紙」を見せていただきました。薄い薄い、紙です。こんなに薄く漉いて、さらに天日で干すなんて!!
紙の大きさは決まっているので、「20枚で230グラムのものを」などと注文が入るそうです。
「この年になって英語を勉強すると思わなかった」と初美さん。各地からの英文の注文を読み解かねばならないのでしょうね。
奈良県の山里の小さな小さな集落に生きる技が、世界各地と繋がっている。そう考えただけでなんだかワクワクしました。
「宇陀紙」には近くの川上村から採れる、白土も材料に使われています。だから虫が付かないのだそうです。
この土は手に入るのですが、今、大変なのは「ネリ」と呼ばれるとろみのようなものを作る材料「ノリウツギ」が、なかなか手に入らないこと。
よく和紙にはトロロアオイから作る糊を使うといわれますが、福西さんは「俺はトロロアオイは使わないから!」ときっぱり。
1300年の伝統の技には、材料そのものも譲れないこだわりがあるのでしょう。
「夏はいい紙はしない。彼岸明けから空気が変わり、朝晩が冷えたらやり始める」と福西さん。
暑い間は、「宇陀紙」を出荷するときに使う包装用の和紙などを漉くのだそうです。
紙を板に干すのは初美さんの仕事、重い重い干し板を庭に広げ干すときは、回りが真っ白に。その様子を今度は見たいものです。
あら?お客様がみえました。合歓で染めた紙を買いに来られました。高級割り箸をこの和紙でくるむのだそうです。なんて素敵なしつらえでしょう。
私たちは、日本の魂のような、こうした原点を守り続ける人たちを、技を、土地を、もっともっと知らなくてはいけません。
和紙を知るということは、人と自然のかかわりを知ることなのですから。“