富岡製糸場へ

ゆとりある記

世界遺産になってもまだ行ってなかったので、この休みに電車を乗り継ぎ行ってきました。思っていたよりもまだ混んでいます。ここまで人がいるとなんとなく不愉快になるのですが、ガイドさんの熱心なお話でひと学びできました。

世界遺産にならなかったら知らないでいたこと、知らなかった街です。それなりに写真を撮っててきたのは、ここを人に伝えたいと思ったからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京からは、高崎線。高崎乗換えで上信電鉄、上州富岡駅下車。上信電鉄と製糸場入場料金がセットになった切符があってお得です。新しく整った駅舎や駅前広場が意外でした。若い人たちも集団でいます。

ここから歩いて15分、まずは「富岡製糸場」へ。いきなりガイドツアーに飛び込みました。
詳しいお話は、ここのホームページから見ていただくとして。
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

私的には、このツアーのマイクトラブルが面白かったです。40名近い人が、イヤホンをつけてガイドさんの話を聞きながら移動します。当初、するすると話すガイドさんのお話は、専門知識があって面白いのですが、なんとなく本を読んでもいい感じでした。

ところが、途中で電波障害か私たちのグループのマイクがおかしくなったのです。皆が「聞こえない」とか「プツプツ途切れる」と言いだしたのでした。

ガイドさんは困りました、救援隊もやってきました。なかなか直りません。「どうしたのかな、普段こんなことほとんどないんですが。私の声が悪いのかなあ。それで壊れたかなあ」「どうでしょう?聞こえますか?」「地声でやりましょうか?」

こんなやり取りをしていると、面白いものです、このトラブルをみんなで乗り越えようという雰囲気が出てきます。皆がガイドさんに近づく、「聞こえますか」と尋ねられると『○』とか『×』とかのマークを手で示す。なんて事が起きてきます。

やがて「さっき頃から聞こえるようになりました」「大丈夫ですよ、直ったみたい」なんて声も上がって、無事に解散までツアーは続いたのです。

スラスラとしゃべっている時より、何とかしようと悩み困っているガイドさんの説明の方がしっかり耳に届いたのが不思議。人間性に触れたということなんでしょう。

製糸場の建物ができた頃は、ガラスやペンキは輸入だったそうです。そんな時代の最先端の建物のなかで、高度な技術によって絹糸が造られた。感心したのはいわゆる“女工哀史”のような環境はなく、模範となるような働き方、しかも女性たちに教養も身につけられるような時間や場があったとか。

官営から民営になり、昭和62年まで操業されていた製糸場。その後も、「売らない、貸さない、壊さない」の原則で、たくさんの維持費を注いで、ここまで保存されてきたことは、有名な話です。

いろいろとしみじみと考えた見学時間となりました。ところが一歩外に出ると、門前町のようにお土産を売らんかなの世界です。押し寄せる団体客は時間を気にしながらもぞろぞろ買い物していきますが、私はここはスル~~。

同行した夫の話によると「空き店舗や空き家だったところに、世界遺産になってから他所の人が入ってきてやっている店」なのだそうです。彼は、路地をぐるぐる歩いて地元のおばあちゃんに話を聞いていたのでした。

ただこういうお店もないと、「土産物屋もなかったよ」なんて言われてしまう。なかなか難しい問題です。調整が必要でしょうね。

私個人的には土産物よりこういうお店が面白かったです。金物屋さん。「桑爪」「二本刃コンニャク堀」なんてこの地らしいものから、「てんが」なんて、まったく想像できない農刃物まで、ズラリ。使わせてもらえれば、生きた体験ミュージアムですね。

パンフレットに載っているコロッケのお店にも寄りました。おいしいとか安いとか、というよりも、60円のコロッケを無表情に淡々と揚げ続けるおじさんの存在がなんだか妙にたまりません。

そしてこの辺りの、路地がいい。

そろそろ駅に向かう辺り、見事なクンシランを咲かせているお家が。糸巻とそろばんが飾ってあります。写真を撮ろうとすると、おじいちゃんが戸を開けてくださいました。「明治のだよ」とひとこと言って笑ってみています。ここも私設ミュージアムです。

丁寧な手作り説明書きが貼りだしてある「おかって市場」に寄りました。お土産屋さんと違う落ち着いた雰囲気です。地元のフキとホウレンソウとシイタケをお土産に買いました。

遥か昔の女工さんも、富岡の桜を見たり、フキを食べたりしたのでしょうか?また、今度は、今回行けなかった銭湯に入りに来ましょう。