普通の家に泊まる
父、母、息子、娘、そんな家族が暮らすお宅に、先日2日間泊めていただきました。
朝、茶がゆの香りと母息子の会話で、こちらもだんだん目覚めます。夜は、父娘が仲良く焼くたこ焼きを、楽しませてもらいました。
海辺の集落の、何も飾らない、普通の家庭の普段の暮らしが、珍しく、そしてなつかしく・・・。
いつしか都会のストレスは消え、心が裸足で駆け出したのでした。
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「普通の家に泊まる」というと、仰々しいタイトルで、じゃあ私の家は「普通じゃない」のか?ですが・・・。
我が家は極小のマンション、しかも六本木ヒルズの麓あたり、庭や車庫もなく、子供も孫もなく、最近こっそり飼っていたハムスターまで居なくなり。
隣近所の付き合いはなく、オートロックとサッシで閉め切ったエアコンの中の暮らし。日々土を触ることなく、深呼吸することなく、食べ物はスーパーで買うだけ。
とならば、こういう暮らしは、日本全体からいえば、都心だけの異常な世界でしょう。
だから、田舎の空気のいい土地で、子供たちの声を聞きながら、家族が暮らす家で、時間を過ごしたかったのです。
と、常々思っていたのですが、なかなかそんなわがままは叶いません。でもこの夏、あるおうちが受け入れてくださいました。
その海辺のまちに2泊しなくてはならない状況だったとき、「うちでよかったらどうぞ」と声をかけてくださったのです。
「そのかわり、散らかっていますよ。古い家ですよ」と先方はおっしゃるのですが、我が家の散らかり方から比べたら、あらゆるおうちは美しい!はずです。
それに、別に古民家などというのではなく、家族の歴史が染みついた、そんなおうちが憧れでした。
着いたのは夜遅く、仏間に私の布団が用意されていました。お線香をあげて、まずはお風呂。
ここのおうちのママさんも仕事から帰ったばかり、「お先にどうぞ~。屋根で温まった水がちょうどいい湯加減だと思うので~」と勧められてです。
家族それぞれのお気に入りのシャンプーなどが並ぶお風呂が、既に興味深い。
この頃からすっかりここの家の人の気分になっていました。私の洗濯ものを、軒下に干させてもらいます。
「ニャ~~~」と猫の声!なんと、迷い子猫がいるとか。そんな猫話題をしながらのビール、つまみは今の時期の「エビじゃこ」(芝エビ)。
「ちょうどよかった、近所のおじさんが魚をくれてね」と、パパさんが煮魚も出してくれます。
釣りをしては、獲れた魚をくれる近所のおじさん。採れた野菜をドンと置いていくおばさん、そんな人たちと暮らすのがここの暮らし。
みんな玄関も空けておくから、最近「鍵を閉めましょう」という呼びかけがあるとか。この前あの人がアレくれた、コレくれた、そんな話が飛び交います。
リビングではなく、絵に描いたような畳の“茶の間”。テレビには名作アニメ映画のDVDが映っているのですが、その前で桃ちゃん(娘さんをこう呼びましょう)は熟睡です。
ママさんが何度呼んでも起きる気配なし。こういうことがうれしい!中学生の子に「お客様いらっしゃいませ」など手をつかれたら、こちらはくつろげません。
その立派な寝姿を見ながらの、パパさんとの晩酌がおいしいこと。
さらっとした夏掛けをかけて眠ると、さっきの猫の声がします。鳴いているなあと思いながらこちらはイビキの世界に入りました。家庭というものに抱かれたような、安心感です。
朝、トイレに起きると、もはやママさんは臨戦態勢でした。目を見張るご飯一杯のお弁当はお兄ちゃんのもの、高校野球部ですからとにかく食べることが仕事だそうです。
「うちのは小さいから食べさせないと。これでも少ないくらいなんですよ」と毎日2合のご飯入りのお弁当をママさんは作るわけです。
扇風機でお弁当を冷ましている、その横で、真黒に日焼けしたお兄ちゃんは朝粥中。
「洗濯~~~!」とお兄ちゃんが叫ぶので、「何か洗ってほしいのかな?」と思うと、「センタクって言いませんかね?」とママさん。
キュウリ、ナスのぬか味噌の古漬けと、沢庵のこれまた古漬けを、薄く細く切って水にさらし、一緒にギュッと絞ったもの。「水にさらすから洗濯って言うのかしらね」とのこと。
横でお兄ちゃんは、山盛りの「洗濯」を「おかいさん」と呼ぶ、茶がゆに入れてザグザグとかき込んでいます。
まだ、7時過ぎ。夏休みなのでこれでも遅い方なのだとか。お兄ちゃんは体中に、洗濯&おかいさんを流し込んで、練習に出かけました。
茶がゆの作り方を聞くと、「ええ?分量といっても、このいつもの鍋で、いつもの量で、だから・・・」とのお返事。
このおうちのもう何度も何度も繰り返されている「おかいさん」と「洗濯」なんですね。
「あ、洗濯に胡麻も掛けると美味しいですよ。シラスも入れてね」とママさん。旅館やビジネスホテルでは食べられない極上の朝ごはんをいただきました。
この時期「エビじゃこ」は欠かせません。ゆでて殻をむいて、何匹も何匹も食べる。その剥き方を教わりながらの夕飯。
今日は「エビじゃこ」を入れて、たこ焼きだそうです。エビの入ったタコは入らないたこ焼き?ややこしい。
粉を溶くのを、桃ちゃんとやりました。前日、爆睡していた娘さんとは別人のような、ママさん譲りの手際よさ。エビをゆでたゆで汁で溶くのだから、おいしいに決まっています。
テーブルには、近所からゴロリと届いたスイカ。粉を溶くのに邪魔、とはいえ冷蔵庫も一杯。床にもカボチャやナス、トマトの収穫物。なるほど、こういう感じなのですね・・・・。
物ものの隙間で作業をし、さあ、いよいよ粉をたこ焼き器に流し込み、エビじゃこを入れて焼きます。
パパさんが焼こうとすると「手を出さないで~、私がやるの」と桃ちゃん。「そこの端っこは熱がうまく回らないから焼けないんだよ」と竹串を動かすパパさん。
なんだかんだ言いながら、楽しそうに二人がかりで焼きます焼きます。私は食べます食べます。「おいしい~おいしい~」
桃ちゃんはエビじゃこ剥きの下手な私に、知らぬ間に小皿一杯のエビを剥いてもくれました。
帰ってきたお兄ちゃんも加わって、賑やかな食卓の夜は更け、またママさんの「ほら~、お風呂入ってよ~」の声が飛びかうのでした。
桃ちゃんは、ママさん・パパさんが取り組むまちおこしの活動にも参加します。小さいときからなので当たり前なのでしょう。
休みの日、地域の「食」を体験するツーリズムのお世話。私はこれに参加したわけです。
桃ちゃんは、ブルーベリーの収穫の仕方を参加者に教えてくれます。「実のつく軸が赤くなっていてね、こういうのがいいの」
参加者のチビちゃんのお世話も。エビじゃこ剥きも、グループの中で指導者です。
ママさんとブルーベリーソースを作り、食後のアイスクリームにもかけて。まちおこしメンバーの一人という感じ。
桃ちゃんと私、二人になる時間がありました。初めてに近い私を、はにかむことなくゆる~く、丁寧にまちを案内し、路地や階段の道を連れて行ってくれます。
子供が少なくなり、桃ちゃんが通っていた小学校は閉校。いまその校舎は、まちおこしの場に使われています。
「この道を通ってたの」という桃ちゃんと階段を行くと、途中で知り合いのおばちゃんにばったり。
汗ダクで階段道を運び上げてきた買い物袋から、桃ちゃんと私はアイスキャンディーをいただきました。
店のない、大きな道のない、斜面の土地で、夏の一個のアイスはどれだけ貴重か、を思います。
桃ちゃんと家に着いてから、私は海辺の散歩に出かけました。「迷わないでくださいよ~」と桃ちゃんが、これまたゆる~く声をかけてくれます。
外からの人を地元の資源でもてなす、すると皆がほめる、ありがたがる。そんな体験を繰り返していると、子供たちは知らず知らずのうちにこの港町を誇りに思っていくでしょう。
大人が「こんなまちダメだ。都会はいいね」といつも愚痴をいい、地域の宝を見ようとしなかったら、子供も「こんなまち出よう」としか考えません。
この海のエビじゃこの味、パパさん・ママさんが育てたブルーベリーの味、賑やかで元気なまちおこしのおばちゃんたち、路地や高台からの風景、いろんなもの・ことが染み込んで、桃ちゃんは素敵な女性になっていくのでしょうね。
海辺の小さなまちの、普通のおうちの普通の家族。でも仲良しで、毎日が美味しくって、ニコニコしている。こんなおうち、家族が、今日もあの港に暮らしている。
うれしく、たのもしく、素敵です。きっとこういうおうち、日常は地方にはたくさんあるのでしょう。まだまだ、日本も捨てたもんじゃないと思います。
この夏過ごした、宝石のような2日間、ありがとうございました。ありがとね、桃ちゃん。
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