花を愛でる?

ゆとりある記

 江戸東京博物館「花開く江戸の園芸」展で。150年前訪日した英国の植物学者ロバート・フォーチュンが、日本人が身分を越えて花好きなのに驚き、花を愛することが人間の文化生活の基準であるならば、江戸の人たちは素晴らしいと絶賛したことが展示されていました。

さて、いまのお江戸は?目の前の花壇に水をやれない店、花も飾らない家。ひどい文化レベルに成り下がりました。

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この「花開く江戸の園芸」展は、お盆休みにようやく行けた展覧会です。たくさんの浮世絵や資料から、江戸時代の特に江戸の人々がどれだけ花を愛でていたのかが分かりました。

先ほどのフォーチュンの言葉をもっと引用すれば「江戸の人たちは、気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている」とのこと。

「日本は花を愛する国民性である」から始まり、そのために江戸の東北部には商売用の植木がたくさん育てられ、町並みは緑で埋め尽くされている、などなど感動を持って後日の著作で伝えています。

展示には、江戸の人々が植木市や朝顔市を楽しみにしていたこと。季節ごとの梅、桜、菖蒲、菊、紅葉などを、それぞれ見物に出かけていたこと。庶民向けのガーデニング解説書まであったこと。

欠けた茶碗に植木を植えて、ていねいに育てていたこと。やがて植木鉢が焼かれ、いよいよ本格的な園芸熱が高まったこと。武士は独特の美意識で渋い園芸を好んでいたこと。障子で温室のようなものも作っていたこと。などなど、おもしろい内容でした。

チラシの裏のこの絵が見えるでしょうか?団扇絵ですが、女性が、桶の水を小さなジョウゴの口でわざわざ雨のようにして水やりをしている様子が描かれています。土だけでなく、花全身に柔らかく水をかける、そのやさしさが染み出るような絵です。江戸の庶民はなんて素敵でこころ豊かだったんでしょう。

そう思って自宅へと戻ってくると、いつもの麻布十番商店街。熱心に花を飾る店もありますが、下の写真のような花壇です。この花壇は業者さんの車がついて、定期的に花を交換しているところ。

自分が植えた花ではないからでしょうか、近くのお店がいつも水をやる気配はありません。花は苗で植えられたその日から、枯れるのを待つだけ。ブティックの中はエアコンで涼しく、着飾った店員さんがうろうろしているのですが花など目には入らないのでしょう。

一度、「水をやっていただけないか」と、お願いした時には、思い切りいやな顔をされました。以来、ここを通る時はかわいそうな花を見ないように、なるべくここを通らないようにしています。

道行く人は、手に手にペットボトルやアイスクリーム。乾いた自分を潤すことはしても、そのペットボトルの水一口を、花にかける人は居ません。缶やゴミを花壇においていく程度。

これは麻布十番だけではなく、都市部の商店街なら多く見られることです。日本は、花を愛でない国に何時頃から成り下がったのでしょうか。

「植物は育って気持ち悪いから家に置かない」「花は枯れて面倒だから活けない」そんな声も、大人たちから実際聞きました。

文明は進み、文化は退化したお江戸です。フォーチュンが今の日本、東京を見たら、嘆くのでしょう。