野迫川村・北股

ゆとりある記

標高400~1300m、天空の村といわれる奈良県野迫川村。村民約500人、村に食堂は1軒、信号はあるとかないとか・・。平家伝説のある深山の村です。

北股地区は一昨年の紀伊半島大水害で被災、人々は今も仮設住宅で暮らしています。厳しい寒さと雪、それでもみんな明るく熱い! 

干し芋や猪肉を食べながら、むらのこれからを考え語り合う、私にとって学ぶこと多い村でした。


奈良県の西南端、和歌山県に接する野迫川村(のせがわ)。これは昨年の夏にうかがった時の写真、本当に人が住んでいるのか心配になるくらい、延々と車で山を登ったその先に、突然集落があります。ここの雲海は写真好きに人気だそうです。


村の中心の北股地区(きたまた)。民宿が数件、お店もあり一見普通の山里の集落ですが今、ここは無人です。台風の大雨で後ろの山の、さらに後ろの大きな山がごっそり崩れ、集落の向かって右側に流れて川をふさいだそうです。川は溢れ、家々は水に浸かりました。

小学校跡を工事事務所に復旧工事は進んでいますが、ここからは見えない山の大崩を手当てしない限り安全にはなりません。

北股の方々が暮らす仮設住宅に、2月中旬にうかがいました。林業の地らしく木の活かされている住宅です。それぞれの入り口に、ヒイラギと鰯の頭。にぎやかに仮設の豆まきがあったのでしょうか。

仲良くなった「せっちゃん」のうちに行きました。突然です。「せっちゃん、いる~?野口で~す」「あら~、入って~。散らかってるよ~」散らかすのは私も得意技、なんのそのです。せっちゃんのところで、お茶を呼ばれました。


少し固めの、せっちゃん手作りの干し芋をかじります。「あの日、夫婦で一服してたのよ。そしたら娘が逃げろ!って」結局、台所を新しくしたばかりの民宿・自宅は使えなくなりました。「ようやく最近、涙が出なくなったの。でも東北の人のこと考えたら、ね。がんばらないとね」


部屋の壁には、土砂で流れた車や家々の写真が貼ってあります。忘れたいし、忘れたくないのでしょう。「また、民宿やりたいよ~。本当に。」と、せっちゃん。その時には、被災時に物資を送ってくれた方を呼びたいのだそうです。

「寒くてすぐだめになっちゃうんだけどね」窓辺には、春を呼ぶようにパンジーの花が並んでいました。


むらの中で難を逃れた民宿に泊まりました。奥さんが、猪と大根を甘辛く煮てくれてありました。肉の柔らかさから、そうとう煮込んでくれたのが分かります。「何度も茹でこぼして、臭いをとるからね」料理に3時間はかかるのだそうです。手間隙かけてくださって、ありがとう。

役場でのワークショップ、北股のむらづくりについて、仮設からも何人も来てくれて話し合いです。私の関わるNPO、スローライフ・ジャパンの仕事。夜遅くまで、せっちゃんも目をこすりながら付き合ってくれました。

会合のあと、若い大工さんから一杯やろう!のお誘い。もちろん村にスナックなどありません、近くの作業場で達磨ストーブを囲んで、です。つまみはお仲間のハンターが射止めた猪肉を、フライパンで塩コショウ。これがおいしいこと。

小さな村でもパンチはあります。ここの若者は、ボランティアで夏に花火大会をやり、村の人口の数倍の人を集めます。だから話は尽きない。林業に女性の発想を。収穫祭をやろう。たくさんある雪を夏まで保存して、夏に雪祭りをしよう。

自分の村を愛する気持ちは、都会暮らしの人間にはない強さです。“むらおこし”を口先でなく、本当にやっている人たちは野太い。寒さの中で、熱く燃えるこの人たちと、都市部をなんとか繋ぎたい。つくづく思いました。

翌朝、外は真っ白。奈良県の雪国、という言葉に納得です。