越前海岸で

ゆとりある記

海辺のまちで、いろいろことを知りました。糠サバ、ところてん、昔のウニ採りの海女、かつての水産青年学校製網実習、船大工の道具、小さな神社の土俵。

なかでも心に残るのは、勤めている首都圏の大手印刷会社を辞め、漁師になろうとしている若者との出会いでした。

冷たい湧き水をペットボトルに汲んで、真っ黒い笑顔を残し、汗だくで歩いて行った彼は今どうしているのでしょう


越前海岸といっても先ずは福井市・越廼(こしの)というところから。まちの歴史をひもどくのにおすすめの博物館に行きました。

とにかく暑かったので、涼しいところに入れればうれしい位のつもりでうかがったのですが、ここの展示はすばらしいものでした。


海岸に張り付いた小さな集落のそれぞれの特色、これまでが丁寧にまとめられわかりやすく展示してありました。時間があれば一日居たい所。船大工の道具などはここで見るからこそ価値があります。


昔の写真に惹かれました。越廼水産青年学校製網学習の写真。絣の着物を着て写真を撮るからとおめかししてきたような真面目な子供たちが並びます。

海辺に生まれたからは、海と向き合い暮らすしかない。それ以外考えられないような自然な覚悟が伝わります。

ウニ採りの海女たちの作業の様子。女たちは皆海女になり、こうして海に入り子供たちも育てました。かつてはウニは山ほど採れたそうです。

素朴な海とのかかわりは、現代では掻き消えて、海岸線はなんとなく殺伐としています。でも、越廼の商店街では手作りのトコロテンがおいしそうに並んでいました。

立派な港は巨大なコンクリートの塊で、波はもちろん人も寄せ付けない印象ですが、近くの漁協で糠サバや糠に漬けたイカなど、加工品づくりに燃える女性にあって急にこちらも元気になりました。

船に乗ってかつては海外のあちこちまで繰り出したとか。「ぬかちゃんグループ」という漁協女性部ががんばっています。

こういう海岸沿いの小さな集落を今後どうして行くか、課題は大きすぎます。年寄りしかいない、魚を採るしかない、カニの時期しかお客がこない。

ないもの探しは簡単です。あるもの探しをしなくては、ね。

越廼から海岸線を移動し少し行ったところ、長橋町に水分神社(すいぶんじんじゃ)という小さな祠がありました。いわれが楽しい!

昔、あまりに暑いので尼さんが水浴したところ、水が涸れたとか。その後、奉納相撲をするとまた水が沸いた、という言い伝え。今も土俵があり、相撲が行われるそうです。

神社の横に勢い良く湧き水が出ています。尼さんはかなり迷って水浴したでしょうが、私はこの炎天下ではこの水に迷わず飛び込みたいと思っていたら、次々と水を汲みに来る人の中に若者です。

聞けば、神奈川県から漁業を学びにやってきたとか。「僕は今すぐにでもこっちに来たいんですが嫁さんがね・・・」と笑います。

越前海岸で何かを作り、何かを魅力と感じて動いている人がいる。ウニが取れなくなっても、水仙を夏まで咲かせてお客を呼ばなくとも、何か他の手立てはあるはずです。

炎天下、ペットボトル何本も水を汲み、ゴムサンダルで青年は歩き始めました。真っ黒な顔、汗びっしょりで平気で進みます。音楽を聴きながら、スタスタと。。

彼の行く道の向こうには、黄金色の稲が実り、その向こうには彼が学ぼうとしている定置網があります。いい風景でした。