日本民藝館で

ゆとりある記

大雨の日、東京・駒場「日本民藝館」へ行って来ました。民藝運動家・柳宗悦が1936年に建てたもの。開催中の「名品展」をみていると、ブランドや流行に染まった自分のある部分が壊れていきます。

民衆の日常品の美、その力を私たちは忘れがちでした。洗礼を受けた想いでの帰り道、ドクダミも雨の雫も美しく感じます。出がけに、戸惑いながらはいてきた長靴も妙に立派に思えました。


銀杏並木も雨に煙る、本当の大雨。当然普通の靴では無理で長靴です。私の長靴はおしゃれなものではなく、機能優先のお安いおばさん長靴。

これで電車に乗って出かけるのか、と少々恥ずかしかったのですが、そうもいっていられない雨です。ガッポガッポ、とはいて行きました。

「日本民藝館」は前から訪れたかったところ。目黒区内にお友達ができて、うかがう機会ができたのがありがたい。

先ずは、入り口の看板文字と柳宗悦自ら設計したという、その建物にうなりました。石と木と漆喰と瓦だけ、余計なもののない清潔感です。

ちょうど開館75周年記念の「名品展」をやっていて、膨大なコレクションの中から選ばれた、陶器、染織、工芸などが並んでいました。

内部の写真は撮れませんが、いずれも展示物はうなり続けるものばかり。歴史の中で公の保護を受けず、誰かの財を投じたものでもなく、ただ普通の人の日常使用のために作られたもの。

でも、それがとってもシンプルで存在感があって、かつ美しい。私が思わず動けなくなったのは、鹿革製のはんてん。印伝細工のようなもので多少飾られ、しかも燻してあります。

どんな人が、どんな風に着ていたのでしょう。こういうものは初めて見ました。越後上布や芭蕉布などに至っては、もう一度出直して来ないと、時間が足りません。

鑑賞するためでなく使うものとして、手間ひまかけて作られて、丁寧に愛されて使い込まれたものもの。

地方の特性や時代も反映された一つ一つは、今のネット通販などで氾濫する大量生産のものと明らかに違います。

なにより、素材が自然のものであり、朽ちても自然に戻るものであることに安心感があります。

ものを作りものを使う者として、ここには定期的に来て、くすんだ眼を洗わなくては・・・。

そろそろ昼食と外へ出ると、雨はますます強くなっていました。しかし、睡蓮鉢や濡れたドクダミやバラが妙に美しく目に飛び込んできます。

機能優先の長靴が作る、水溜りのワッカはなんと美しいか!などと思ったのでした。