写真展「戦禍の記憶」をみて

ゆとりある記

写真家・大石芳野さんの写真展に行きました。ベトナム、カンボジア、アフガニスタン、コソボ、広島、長崎、沖縄など、戦争の犠牲となった人々を40年間追い続けた約150点の作品群です。

「同時代に生きる自分を重ねながら平和への思いを新たにしてほしい」と作者から。

“令和騒ぎ”にうんざりしていましたが、意外に来場者が多く、そのことに私はほっとしたものです。
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ここで私の講釈を読むよりも、あと数日開催しているので、ご覧になっていただきたい。
東京都写真美術館で5月12日(日)まで
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3114.html

長い連休や、皇室万歳ムードや、令和狂乱マスコミにうんざりしていた日、この写真展に行って目が覚めました。

以前いただき、冷蔵庫にとめておいたチラシにはこんな案内文があります。

〜〜20世紀は「戦争の世紀」でした。二度にわたった世界大戦は、人類の危機ともいうべき大量の殺戮と破壊をもたらし、深い悔恨を残して幕を閉じました。しかし安寧は長くは続きませんでした。中国国内の革命戦争、新興イスラエルとアラブ諸国との中東戦争、アジア、アフリカ各地の独立闘争、米ソを軸とする東西冷戦に起因した朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻など多くの戦争がありましたが、21世紀を迎えても、ひと時も収まることなく継続しています。この写真展は、国際的なドキュメンタリー写真家大石芳野が戦争の悲惨な傷痕に今なお苦しむ声なき民に向きあい、平和の尊さを問うものです。〜〜

この文章をもっと理解してうかがうべきだったのですが、実に気軽に出かけた私です。そんな私を迎えた入口の写真は、高齢の品の良い女性の深い深い怒りの顔でした。

露骨に怒鳴ったりしてはいないのでしょうが、たくさんのことを諦めて、耐えてきた、その理不尽さを知的な目が訴えています。

「ボーッと生きてるんじゃないよ」と喝を入れられました。彼女は、ベトナム人80歳。解放軍の夫、3人の息子、2人の孫を戦争で失っているということでした。

もし私だったら、どうするだろう。生きていられないのでは。こんなふうにきちんと身なりを整え、強い眼差しでいられないでしょう。

「写真の中の一人ひとりに、同時代に生きる自分を重ねながら、平和への思いを新たにしていただけることを願っています」と、冒頭の大石さんからのメッセージにありました。

写真の一枚ずつに、どういう状況の人なのか、大石さんが取材された内容が詳しく添えられています。必然的に、今の自分と、今の日本に生きる人たちと、比べてしまいます。

枯葉剤の影響で、自分の子がこの子と同じく無眼球で生まれたら、私はどうしているだろう。

森で一週間、戦い続けていたというライフルを持った女性。彼女と同じ24歳が、 この東京でどんな暮らしをしているのか。戦うのだろうか、戦えるのだろうか。ちやほやされて、甘えるばかりの24歳の今の日本人に、いったい何ができるのでしょう。

何時間も並んで、ミルクの配給を受けるカンボジアの子ども達。好き嫌いの多い今の日本の子ども達は、並んで待つことすらできないでしょう。

市場に行ったまま夫は帰ってこなかった。5人の子を一人で育てている35歳の女性は70歳にもみえる。今の日本で、夫が殺され、手がかりも無かったら、そんな事件ひとつでも大事件でしょう。彼女のような母がたくさん!それが戦争なんですね。

コソボ。目の前で父親を銃殺された少年。家族、親戚、20人の中でただ一人生き残った少女。この子たちはどうなるのか。自分の子が、孫がそんな境遇になったら。

スーダン。難民キャンプのテントで子どもを産んだ15歳の子。日本では受験や化粧、スマホでBFとラインといった年齢です。

自宅の下に埋まっていた不発弾が爆発し、足をなくしたラオスの人。日本なら政府を訴えるのでしょうか。

銃殺した若者の肝臓を焼いて食べた、と平然と語る元ポルポト幹部。殺す側も壊れていく。

そして、同じく日本人も同じようなことをしてきました。731部隊。人間の冷凍実験で、人を吊るした釘が残ります。生きたまま私が実験に使われたら、気を失うまで、死ぬまで何を考えるのでしょう。

娘狩りでさらわれて、日本軍の慰安婦にされたら。刺繍が「桜の花にみえない、朝鮮半島の花のムクゲだ」といわれ、爪のなかに竹串を刺される、首に焼き印を押される拷問。銃剣で人を刺し、食べ物を奪う。

そううことを、もっともっとひどいことを日本もしてきたのです。家ではいいお父さんだった人を、殺人魔にするのが戦争です。

広島、長崎の原爆の被害。そして沖縄戦。私が持っていた案内チラシにあった写真は伊江島の壕から発見された遺品や遺骸を弔う様子の写真でした。

何かの儀式の写真かと思っていたのでした。戦後数十年しての発掘。「こんなに長く暗くジメジメしたところに居させて悪かった」と弔っている様子でした。

非難した壕のなかで、子どもの声で米軍に見つかるからと2歳の子に毒を注射する。軍からの命令と集団自決する。沖縄にはさらに今、私たちはいろいろな苦しみを強いています。

展示された作品は、ここに書ききれない内容ですが、最後の大石さんの言葉が残りました。

「歴史は繰り返す。しかし私たちは決して繰り返させてはならない。戦争は国と国とが終結の調印をしても、一人ひとりのなかでは決して終わらないからだ。被害者も、加害者も」

実はこの日、写真展の会場は実に混んでいました。ここにいる人たちが一斉にしゃべったら“大賑わい”という表現になったことでしょう。

ところが、来場者はたくさんいるのに話す人はいません。皆が沈黙して、何か歯を食いしばるようにして、一点ずつをみている。まるでお通夜の会場のような、大勢の静けさです。それほどに写真が迫ってくるのでした。

若い人も多い、そのことに驚きました。令和のスタートの馬鹿騒ぎの日に、こういう作品群をみたことを、考えたことを忘れないでほしいと思います。

テレビのインタビューで「令和は平和な時代になってほしいです」という言葉を何度も聞きました。「平和はつくるもの、守るもの」と、強く思います。

どんなにかっこいいビルが建っても、おしゃれなマンションに住んでも、素敵なネイルをしても、美味しいワインを飲んでも、パソコンを操っても、しょせんついこの間まで大人たちはみな人殺しに加担し、止められなかった戦争のためにみんなが死んでいった、そんな国に私たちは生きています。そして、地球上の今日も続く戦いを見て見ぬふりををしています。

地震でも、津波でも、噴火でも、台風でもない、戦争は人が人に振りかざす災いです。人が起こすのですから、人が止めるべきでしょう。

70歳代後半の大石さんが、いまなおこういう仕事を続けていることに、同じ女性として頼もしく、励みになりました。

私、続きます。