紀の川市と雲仙市

ゆとりある記

私が仕事をしている、両市の方々が仲良くなっています。スローライフ・フォーラムで同室になったのが始まり。

その後、紀の川市から2回雲仙へ。そして今回は雲仙市から紀の川市へ。

オフィシャルでなく、自費で動くこの人たちは凄い!とつくづく思います。原動力は「わがまちを良くしたい」という一念。

普通の視察以上の濃い交流、そんな素敵なシーンに同席できて嬉しい限りです。
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雲仙市のMさんは、私どもNPOスローライフ・ジャパンの13日回目の「スローライフ・フォーラム」2009年8月 鳥取県因幡地区での「スローライフ・フォーラムin鳥取」に参加されました。「智頭町での分科会が忘れられない」と今も語ります。

その後、20回目の2014年9月 群馬県南牧村での「フォーラム」にもやってきました。その時は、市職員になったばかりのKさんも一緒でした。そして「このフォーラムを雲仙でやってください」と、増田寛也さん(スローライフ学会会長)に直接交渉した姿を今でも私は覚えています。

そして、遂に2015年11月、Mさんが中心になり、Kさんが司会をしてくれて、「雲仙市市制施行10周年記念事業」として「スローライフ・フォーラム」が開催されました。450人もの方が参加してくださいました。

自分の地域でフォーラム開催後も、Mさん・Kさんはうちのフォーラムに現れてくださいます。2016年11月長野県飯山市での「スローライフ・フォーラムin飯山」、2017年10月島根県出雲市での「スローライフ・フォーラムin出雲の國」。この22回・23回のフォーラムで、Mさんは和歌山県紀の川市のNさんと同室になり、意気投合します。

飯山での夜、浴衣姿の各地の男女が車座になって話し合った時そこにお2人はいました。その後、紀の川市のNさんが雲仙市を訪ねます。MさんとKさんはとことん雲仙市を案内したそうです。

そして、この秋です。紀の川市のNさんの上司Jさんが、雲仙市に「ドラム缶ピザ窯」を造りにやってきてくれました。部下のTさん、Nさんを従えて。

雲仙市では、職員のM2さん、Tさんはじめ、市民の方がたがワークショップイベントとして彼らを受け入れました。子どもを含む50人以上の人が楽しみました。

もちろん、この日もMさん、Kさんは居ました。

Jさん部隊の活躍は話題となり、紀の川市と雲仙市の交流が始まったと新聞記事にもなりました。その時のことの私のブログがこれです。
「ピザ窯造り交流」
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=484


さあ、そして今回は雲仙からMさん、Kさん、M2さん、Mさんの娘さんがやってきました。まずは紀の川市役所で紀の川市のNさん、雲仙市のMさんの久しぶりの対面です。

紀の川市に初めての方が来るとき、Jさんは「パラグライダーに乗せちゃろう」といたずらを仕込みます。実は私もその洗礼を受け、その後、紀の川市のとりこになって行ったのでした。

今回、雲仙を代表?して飛ぶことになったのはKさんです。

飛び立つ丘の上でみんながはしゃぎます。なんだかお祭りみたい。これから屋台がでるような、ワクワク感!


Kさんを前の椅子に抱えて飛んでくれるのは、6年前にJさんの計らいで、私を飛ばせてくれたインストラクターさん。

紀の川市と雲仙市がひとつになって飛び立つようで、下の方で眺めている私はなんだかウルウルしていました。雨のはずだったお天気が、なんと青空も少し見えてきて・・・。


ふわりふわりと優雅に飛ぶパラグライダーは、紀の川市と雲仙市を乗せて何だかとっても楽しそう。こんな日が来るなんて、両方に関わる私には不思議な思いでした。


Jさん、Nさんは2日間に渡って雲仙チームを紀の川市ご案内でした。世界初、麻酔をして外科手術を成し遂げた華岡青洲ゆかりの場所。

ここはかつて全国から医学を学びに、延べ2000人以上の人がやって来たそうです。昔の人は実にダイナミックに動いていた、学ぶためならどんな遠くからも来ていた。

学人の中に、現在の長崎県から何人どこの国から来ていたのか、雲仙チームは緻密なチェックです。ただの観光とは視点が違いますね。

青洲は地域のために土木工事もしていました。ため池の多い紀の川市、用水について水のとり方について質問と説明が続きます。


西国33番札所の3番「粉河寺」のある紀の川市粉河。ここの「力寿し」で食事。

フルーツのまち紀の川市の名物「フルーツ寿司」が生まれていった物語をご主人からうかがいます。このお寿司はJさんやNさんが38回続けたワークショップのなかから生まれ、育ったものでした。

紀の川市のJさんが、最初の試作を食べた時の話を披露します。雲仙市のMさんが「アイディアを即、翌日作るということが凄いな」と感心します。


そこに、紀の川市のTさんが「今度12月に雲仙に行く予定」と披露。すかさずMさんが「うちで牡蛎焼くから来い」とハグハグ。

結局、私もお邪魔する運びになりました。きっと地元の方々も何人か集まることになるでしょう。

行政主導の都市交流とか姉妹都市とかはあります。でもそれは、なんだか白々しく仰々しくなります。

必然性なく出会った人たちが、「まちづくり」というエネルギーで繋がり、惹かれていく。こういうこの指とまれの、ネットワークがこれからは強いと思います。お互いに刺激して、一番学べるはず。

私などは、何処も仕事でうかがうので、交通費も日当もいただいての訪問です。でもここでまるで親戚のようにニコニコして群れているいる人たちは、自分の意志でお金で動き、身体を運んでいる。アッパレです!

だから、案内や説明のツボが分かっている、見方、聞き方、学び方のツボがはっきりしている。濃い視察が行われるわけです。

こんな清々しい人たちに混ぜてもらえる幸せを、私は感じていました。