高知女性の元気は
ここ数年、高知県内の地域おこし女性団体の活動発表会にうかがっています。女性たちの工夫や知恵に毎回関心するばかり。発表会後、いつも高知おかみさん会の新年会が。これがまたダンス披露もあり弾けるほどのパワー。なぜ、こんなに元気、と?でしたが、このたび「自由民権記念館」を訪れてそのルーツが分かりました。
明治の初めに初の女性投票権要求をした女性がいた、その頃から男女平等を訴えた運動があった、などなど。「自由は土佐の山間より」と石碑にありましたが、元気女性は土佐の山間よりと思ったわけです。
ーーーーー
事例発表のあとの、「高知おかみさん会」新年会名物のダンスです。かなり高齢の(失礼)おかみさん達の元気なこと。最近流行った曲に合わせて、オリジナルの振り付けを覚えて披露。その勢いに引きずられるように男性陣も。
宴会ならどこでもあるでしょうが、こういうあたりに感心します。参加者皆に配られるコインの着いたリボン、これが発泡スチロールの箱に整列している。「こんがらかっちゃうのよね~、だから」なんて言いながら、各人にリボンを配り、最後にじゃんけん大会でリボンが一人に結集します。
発砲スチロールに小さな刻みを入れて、一本ずつ。こうしたささやかな工夫の積み重ねが、女性たちの地域おこしに繋がっていくのでしょう。
翌日、「高知市立自由民権記念館」に行きました。明治時代の前半に、日本初の大衆の力による民主主義運動は土佐を中心に起きました。その業績資料を展示する小さいながらも質のいい記念館です。ここで、有名な板垣退助、植木枝盛などの他に、たくさんの女性たちが声を上げていたことを知りました。
中でも私が注目したのが「民権婆さん」と呼ばれたという楠瀬喜多という方です。彼女は夫の死後、戸主となって納税するものの、選挙に際し女性だからと断られ、1878年(明治11年)「選挙権がないなら、納税もしない」と主張したそうです。わが国初の女性投票権要求だそうです。
民権を主張、講演も。そこで「民権婆さん」と呼ばれ、彼女の主張で2年後の地元の町議会では女性の選挙を認めました。高知市上町には「婦人参政権発祥の地」の碑があるとのことです。当時は地方で規則を決めることができ、せっかく参政権を得たものの、その後、法がかわり、これはご破算になります。そして70年近くのちに、戦後の総選挙で女性参政権が本当に実現しました。
喜多さんはどんな気持ちで、志を貫いたのでしょう。当時、主張する女性にどれだけの風当たりがあったか。新聞各紙も、興味本位で採り上げたことでしょう。私だったらできたかどうか・・・。耐えられたかどうか。
他にも、多くの女性弁士や活動家が、自由と男女平等を唱えていた。そんな時代がここ高知にあったわけです。
だから、というわけでもないでしょうが、高知の女性たちの元気さは筋金入りなのです。そしてそれを受け入れて来た、おおらかな風土、男性たちの存在も見逃せません。
何でも東京が進んでいると思いがちの現代ですが、本当に、「自由は土佐」に限らず、「地方の山間」から沸き立つのではないでしょうか。いまや、東京より地方、地域の方が進んでいると私は思っています。
大事な選挙権、自由、男女平等であるのだから、ないがしらにはできません。今の自由を大事にしなくては。
事例発表された一つのグループがお持ちになった立派なナス。この元気なナスをいただいて、私も高知から力をもらいました。