買い物怖い

ちょっとしたこと

スーパーは相変わらず「3密」です。メモした物だけを一人で突撃気分で短時間で買う、緊張します。

ゆっくりウロウロしながらの楽しい買い物時間はどこかに行ってしまいました。ならば、スーパー以外でと思うのですが、街には個店がありません。

私たちがワンストップで効率的に安い物を大量に買う、そんな大規模店での買い物を便利がっているうちに、個人商店は消えていました。
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今まで、土日は買い物日。近くのスーパーに繰り出して、ゆっくりと全ての物を舐めるように見るのが好きでした。

「へえ、こういう物が売り出されたんだ」と時代を感じることがある。「もうこういう季節なんだ」と四季の先取りを売り場から感じる。

知らない外国の調味料を通してその国に想いを馳せたり、タケノコが並んだら、どう料理しようか?とワクワクしたり。

だから、スーパーは買うだけでなく、知識の吸収や、心躍る場でもありました。夫婦で行けば、あれこれ会話しながらの散歩道、家の延長で楽しいコミュニケーションの場でもあったのです。

それはやはり、安全であり、安心して買い物できていたからの話。今や様子は一変しています。


何しろ、入り口で手を消毒、「一家で一人にしてください」「一家で一つにしてください」などと注意されながらの買い物です。

こちらも感染が怖いので人には寄らない、長くはいないを心がけています。マスクだけでなく、手袋をしてきている人もいます。店員さんはフェイスシールドも。もちろんレジには透明の遮断シートが下がって、お金の手渡しはありません。

せっかく距離を開けてレジに並んでいるのに、人の咳がすぐ真後ろで聞こえたりすると、「離れてよ!」という目で睨んでしまう私がいます。


買い物が終われば、外で待っていた夫と荷物を振り分けて、急いで帰宅。即、手洗い、ドアノブ・マイバック・財布・買ってきたもののの消毒などなど。楽しい買い物はあっという間に、危険な買い物になりました。

そこで我が家は大型スーパーでまとめて買うのをやめよう、と、対策を考えました。コンビニやミニスーパーで間に合うものは多少高くてもそこで買う。

ここでは納豆だけ、ここでは牛乳だけという具合にしました。とりあえずレジの長い行列を待つということはなく、人も少ない。

では、野菜は八百屋さんで、魚は魚屋さんで、肉は肉屋さんでと思いますが、そこでハタと気づきました。

そうか、個人店は無くなっていたんだ!


商店街というのははるか昔に無くなって、それでもポツンポツンと残っていた個店も、後継が無いとなるとどんどん閉めて。大型スーパーができた近くは全滅です。

世の中が合理性や効率を追いかけたことにより、買い物環境がこうなっていたことを忘れていました。

ヨーロッパのいくつかの国では、自分の街の昔からの良い店がなくならないように、大型店も利用するけれど、半分の買い物は地元の個人店でする、ということを聞いています。

なぜ?と問えば、「自分の街が好きだから、そこに良い店がなかったら困るから当たり前だ」と住民は答えるそうです。

街よりも自分のお財布と便利ばかりを考えてきた私たちは、いま身の危険を感じて、初めて買い物が一箇所に集中していたことに気づくのでした。分散させたくとも選択肢がないのです。

ただ今回、混んでいるスーパーには行かないと決めると発見がありました。夫婦で散歩がてら足を伸ばすと、いい肉屋さんが一軒健在だったり、高いけど昔からの老舗魚屋さんがまだ持ち堪えていたり。

スーパーのレジ係さんとは違う、専門知識とこだわりのありそうなおじさんから、パックに入っていないお肉を「これ200グラムください」なんてお願いして買う、昔のような買い方をしてみると新鮮です。「この焼き豚まだ出来立てで熱いからね」なんて言われると、「ほう!」と感心したりします。

不便でも、怖くない買い物をしよう、安心で安全ならそこで買おう!

他のたくさんの買い物客を敵のように思い、ドキドキしながらの買い物はストレスになります。大型スーパーに行かずとも暮らせるうちのような少人数家族は、散歩もかねて分散して買い物をしましょう。

このコロナ禍で、いろいろなことを変えていかなくてはと思いますが、まずは「買い物怖い」からの脱出。リュクを背負って歩いてあっちのお店、こっちのお店に「買い物安心」を求めての習慣をつけようと思います。

遠くから背負って帰るなら、買いすぎや衝動買いもないでしょう。