ゆったりと強く

ゆとりある記

自粛していたギャラリーが開き始め、近場の写真展2つを観ました。一つは普通の人の普通の暮らしのひとコマ。犬の散歩や遠足のお弁当風景など、ゆったりのんびりの時間。もう一つは山中に猪を追う猟師、肉を捌き食べる、野生を感じる強い人たち。写真から「人間て色々な面があったんだ」と思いました。最近、白いマスクの下でどうやら私は、縮こまってしまっていたようです。

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山﨑雅子さんの「ある日の情景まなざしのゆくえ」は、ごく普通の暮らしのひとコマの写真。

野球の練習をバックネット越しに見ているおじさん、駅で電車をゆるーく待っている人たち、公園で爆睡する人、なんとなく群れて公園を歩く女の子たち、太った犬を連れている太った男性の足、海辺の波と戯れる家族、遠足でしょうか?雨上がりのどこかでお弁当を食べている子供たち、黒塀の横をおでこの先に何かの想いを尖らせながら歩く女の子、少し昔のものも含め、なんでもない写真です。

なのですが、見ている私が「あ、この人たちマスクしてない」と思っていることに驚きます。

ついこの前まで、私たちはこのようになんでもなかったのでした。なので、花見をしたり散歩をしたり、普段の普通が好きであたりまえで、写真を撮ったり、笑ったり、歌ったり、食べたり、泣いたりしてきたのでした。世間に出るにが恐ろしくなり、怯えて、篭っていたこの数か月、普通にゆったり、はどこかに行ってしまったのでした。そのことに驚く写真展だったのです。

多々良栄里さんの「文と詩」は、南伊豆の山中で鹿や猪を獲るハンターを取材したものです。

猟師の暮らしをひたすらルポしたわけでもなく、実はそこに写るある個人のプライベートな物語がタイトルにも通じているのですが、私にとっては猟師という存在に心動きました。

井上靖の小説『猟銃』にあるような、鉛の筒を背負い、腰に銃弾をつけて山の中を歩く男性の後ろ姿に、野生味を感じます。都市部のパソコンだけを相手に暮らすスーツ姿の若僧とは全く違う存在感です。この人なら、この山で1人でも暮らし抜くだろうという人間力を感じます。だから、逆に孤独のような哀愁を帯びた背中でもある。チャラチャラ群れない。

そして、獲った動物はありがたくいただく。きちんと捌き、仲間と分けて命を美味しくいただく。大昔から人はこうして自然の命をいただいて生きてきたのでした。それが、今や肉も野菜もスーパーに行かは手に入れられない。自然界で何を食べればいいのかも知らない柔な存在になりました。コロナから身を守るために慌てて免疫力を上げる食事をする始末です。

人は本来、ゆったりとおおらかで、自然と共に生きる強さも持っていた。こういうことに写真作品から気づいたり、考えたりするのが文化活動なのでしょう。不要不急とされた文化活動、今まで以上にむさぼりたくなったのでした。

いずれも東京・丸の内線「新宿御苑前駅」すぐで。

●山﨑雅子「ある日の情景まなざしのゆくえ」 24日まで。

アイデムフォトギャラリー「シリウス」03-3350-1211

https://www.photo-sirius.net/

●多々良栄里「文と詩」28日まで。

アートギャラリー蒼穹舎 03-3358-3974

http://www.sokyusha.com/gallery/20200615_tatara.html