街の悲鳴

ちょっとしたこと

緊急事態宣言が出てから、近所を歩くのがつらいです。私の住むのは新宿・荒木町という飲み屋街に近いところ。目につく貼り紙は「営業は夕方5時から8時まで」「昼のみの営業です」「2月7日までお休みです」こればかりでなく、
「閉店させていただきます」も。飲食店の辛さが、通り過ぎる身に刺さるよう。でも、私に何ができるわけでもなく、そんな自分がもどかしいのでした。

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春の最初の緊急事態宣言の時は、何が何だかわからずに、トイレットペーパーを買ったり、食料やホットケーキミクスを買いためたり、マスクを捜し歩いたり、こわごわ家から出て、そんなこともしたものです。それが、コロナ慣れしたのでしょうか?買い物も普通、地下鉄も普通に乗っている自分があります。以前は、車両に誰もいないときもあったのに。マスクの暮らしもごく普通になりました。

それでも11月始めに、東京300人感染となると、少し緊張しました。その頃のフェスブックに、渋谷の人混みの写真とともに「この先どうなる、、、」と私は書いています。「そのうち東京は1000人超えるよ」と地方の方から言われて「えええ~~」と笑ったのもついこの間のこと。それでもGoToトラベルは年末まで利用できて、得した気分になっていたものの、「緊急事態宣言って出さないでいいのかなあ~」と思っていました。

それがあれよあれよといううちに、1000人、2000人と増えて。今や東京では7000人もの人が病院に入れずに自宅待機。明日は我が身です。これが感染爆発なのですね。今さらながら、驚いています。地方への出張は新年から控え、自宅か事務所でひっそり1人でいる、その往復を歩くのみ。なのですが、春ほど怖がらないのはなぜなのか。謎だったコロナのことを散々学んだこともありますが、多少居直っているのかもしれません。

でも、マスクなしで大声で歩く酔っぱらいの若者などには腹が立ちます。「世の中や、社会をどう思っているのか?家族に感染したらどうするの」と、私はつぶやきます。でも、彼らは普段から家族や社会を考えることはあまりないのです、そんな躾や教育を受けていない、受験やゲームとSNSくらいの世界で暮らしてきたのですから。街の様子を撮影に行ってきた夫が「銀座も、浅草も、いつもと同じ混み方だったよ。驚いた!」と。「コロナの中、若い人は買い物しまくるのをむしろ楽しんでるみたいだったよ」とも。

私も緩んでいるかもしれませんが、まさか銀座のデパートに買い物に繰り出すなんてしません。いま、買い物は楽しくないもの。もちろん、飲食も楽しくない。緊張しながら食べてものどが詰まる。だから、飲食店だけを目の敵にするよりも、皆の考え方に喝を入れた方がいいと思うのです。それは、ロックダウンくらいやらないとしょうがないわけです。いきなり矢面に立てられて、多少の保証はするから8時までと言われた飲食店はたまらないはずです。

ほかの保証のない業種はどうするの?おしぼり、酒屋、花屋、エトセトラ。一回みんなせ~の、で休んで、しかもみんなを保証すればと思うのですが。そうなれば、いくらノーテンキな馬鹿者も、家にじっとしているでしょう。もう、そうじゃないと、収まらないです。

飲食店に限らず、皆が悲鳴を上げている!早くオリンピックはすっきりあきらめて、その予算を皆に配分すればめでたく、あらゆる人が家にいて、感染を鎮めることができると私は思います。